農家意見交換会の会議録

2009年度、教育GP酪農学園大学シンポジウムの記録

2010年度、教育GP酪農学園大学シンポジウムの記録

 
2009年度、教育GP酪農学園大学シンポジウムの記録
森田茂酪農学科長の挨拶に続いて、下記の説明が行われた。
<教育GP事業について>
文部科学省高等教育局
大学振興課大学改革推進室
丸岡充
<実践酪農学の概要>
酪農学園大学教授 新名正勝
<実践酪農学卒業生の報告>
三重県酪農家 庄司睦
我が家では、乳牛を90 頭を飼育しており、私の役割は、泌乳牛のTMRの調整と給餌、育成牛への牧草給餌、搾乳、乾乳牛・産褥期牛への投薬、そして人工授精です。
TMRはコンサルタントの方による設計を基本としながらも様々な問題が発生してきます。自給飼料の品質のばらつきや牛郡構成の変化、季節の変わり目が主な原因です。臨機応変に飼料設計を微調整し、飼料全体の量、繊維量・デンプン量・タンパク質のバランスを良い状態に維持して、なるべく出荷乳量が多くなるように努力しています。三重県で作られる牧草は、一年生のイネ科牧草で、春と秋に異なる品種を数多くの圃場で栽培しています。先ほどの自給飼料の品質のばらつきはそのためです。
分娩後の子宮の回復や早期受精のために、ビタミン剤やカルシウム剤、ケトーシス治療薬を与えています。これによって、第四胃変異などの事故も減っています。すべての牛にこのような処置するのは大変ですが、2年ほど継続してみて、数字には出していませんが、明らかな効果を感じてがんばっています。
また、人工授精はすべての牛にできれば一番いいのですが、現在は、自分の空いた時間に受精適期であった牛と、自分がとても大切に思っている牛に受精しています。ホルスタインの精液は、コウダイ検定1種類、輸入精液3種類を使い、乳牛の遺伝改良も楽しんでやっています。
以上が、現在の大まかな仕事です。
大学入学当初の私は、日本一の酪農家になるという意気込みはすごかったものの、酪農のことをほとんど知らず、乳牛品評会の存在すら知らない未熟者でした。しかし、実践酪農学と酪農アルバイトの経験で、仕事に対して若干の自信が得られ、また、親身に交流して下さる農家さんと出会えました。それらがなければ、酪農の魅力に気がつかず、目標が定まらない中で、酪農以外の道へ進んでいたかもしれません。きっと、そのまま実家に帰ったならば、忙しい生活に耐えられずに辞めていたと思います。
私にとって、はじめての本格的実習である実践酪農学実習が2年生の前期に始まり、約4ヶ月間実習させて頂きました。当時、私は自分の能力を自覚しておらず、空回りや悔しい思いの毎日でした。自分では素直に質問しているつもりでも、相手に伝えるのが下手なせいか、反論や意見を押しつけているように受け取られ、大変戸惑いました。農家さんや従業員さんのお叱りやどんな叱責でも、自分を育てようという思いからだと信じていましたが、日が経つにつれて崩れていく人間関係にとても困りました。不自然な沈黙の恐ろしさが毎日続く状況が非常に怖かったです。
今思えば、最も苦しい時期でしたが、私の角が丸くなり、いい意味で人間が大きく変わり、大学生活で人間的に成長できた4ヶ月間だったと思います。
そんなやる気が空回りする中、私の救いは1軒の酪農家さんとの出会いでした。きっかけは、実践酪農学の受入農家と学生の昼食会で、その農家さんが、時間があったら遊びにおいで、と言って下さったことです。昼休みの時間に、迷惑と分かっていながらも、毎日何時間もその農家さんに寄って、乳牛の改良や共進会の話等を教えてもらいました。酪農の志や誇り、酪農人生の華やかな一面を伝えていただき、非常に感銘を受け、当時私は、その方に完全に惚れ込んでいたと思います。未熟な私のやる気を受け止め、それを広げて下さったその出会いが、私の大学生活の送り方を決めることにつながりました。
1回目の実習が終わり、2年後期に大学生活に戻りました。その時、私はまだまだ実習が足りないし、生活費を全部自分で稼ぎたいとの自立心から、近郊農家でアルバイト兼実習をさせていただきました。失敗もありましたが、その後卒業までの約2年間使って頂き、私生活においてもこの場では言い尽くせないほどの恩を受けました。
実習中は自己満足がたくさんあったと思いますが、一生懸命実習し、農家さんもその私を受け止めてくれて、楽しく牛の話を聞かせてもらったり、時には私の感想にも共感してくれたりと、本当に自分に納得できる充実した生活を送ることができました。また、毎日朝晩搾乳などの作業をさせて頂いたので、酪農作業の基本的な技術はこの間に学び、親方との会話から生まれるさまざまな知識や感情は、今の私に大きな影響を与えています。
私にとってはじめての共進会出品はこの時でした。とても弁当とは言えないようなおかずとご飯を持参し、朝晩の実習バイトの合間に牛の調教や、自分流にいろんなことをしました。その中で最悪の大失敗は、牛の毛づやに透明感を出したくて、洗濯用漂白剤を体に塗ったことでした。皮膚が非常に荒れてしまい、完全に治ったのは、共進会本番の頃でした。本当に反省しました。今思えば、よくそんな勝手なことをしたなと驚きです。現在も、時々本州の共進会に出品しているのは、この時点までに培った思いが大きいからです。
3年生の後期には、2回目の実践酪農学実習が始まり、受入農家さんは酪農業以外に、害獣ハンターをされていました。当時もまだ未熟ではありましたが、1回目の実習から1年が経過し、私は成長していたと思います。思いつく失敗や迷惑をかけたこともたくさんあり、問題もあったかと思いますが、仕事を任せて頂いている充実感がありました。また、それを農家さんも評価してくれました。
経営スタイルは、放牧組み入れ型のフリーストール・パーラーシステムで、私も多くの役割を担っていました。そして、家族の一員のように扱って頂き、お正月元旦まで一緒に過ごし、クリスマスや誕生日にプレゼントを頂いたこともありました。おじいさんはとても腕相撲が強くて、勝てると思ったら一瞬で負けてしまいました。この農家さんのご家族は、人間性がとても力強く大変筋の通ったかっこよい方々でした。教わった言葉で覚えているのは、「頭は低く、目は高く、口は慎み、心は広く」であり、なかなかそうはなれませんが、今でも気をつけています。
このように実践酪農学での経験は、私の大学生活のすべてであり、私を内面からも農家にしたと言えます。先生方や農家さん、農協の方々に深く感謝します。ありがとうございました。
大学院生 上島優子
私は、実践酪農学の担当教員である干場先生の研究室に所属する大学院修士の2年生です。神奈川県出身で、両親ともに公務員でした。普通科の高校に通い、酪農学園大学を知ったきっかけは、動物が好きで、獣医になりたいと思っていたからです。動物に携われる学校に行きたいと思い、獣医や酪農学科、動物資源学科などいろんなところを受けました。結局一浪して獣医が受からなかったので、この酪農学園大学の酪農学科に入りました。
大学院生 上島優子
この実践酪農学を知ったきっかけは、1年生の時にオリエンテーションという交流会です。新入生と先生たちが定山渓に一泊し、夜に先生たちが見回りに来て下さるのですが、その時に干場先生と出会い、今年から実践酪農学という授業があるので、興味があったら受けてみてという話があったのです。酪農に興味が無いわけではありませんでしたが、その時はまだ、酪農という現場と、スーパーに並んでいる牛乳とが、全く結びつきませんでした。きっと今時の子供はみんなそうだと思います。私も都会っ子ですので。
非農家で全く酪農を経験したことがない人は、20日間で良いから現場で酪農のことを少し勉強をしてこいとのことで、私は所属していた水泳部の先輩に紹介して頂き、ニセコの高橋守さんの牧場に行きました。そこでは、最初は本当に何もさせてもらえず、フォークとスコップでフンかきから始めました。最初の3日間はフンかきだけ、次の3日間は乾草やりとミルカーを運びました。1週間後からミルカーの付け方を教えて頂き、その日からバルククーラー処理室の掃除を始めました。その牧場では、親方と息子さんが搾った牛乳を用いて、娘さんが近くの工房でチーズケーキやロールケーキ、飲むヨーグルトを作っています。飲むヨーグルトはニセコの近くのスーパーで売られており、共進会でも販売されているので、ご存じの方もおられると思います。私は、バルククーラーを洗っている時に、自分が搾った牛乳が不特定多数の一般市民の方の口に入るのはすごいことだと思い、酪農に感動を覚えました。
そこで、2年生前期と3年生後期の実習に行こうと決意しました。
2年生前期は、鹿追町の浅野牧場で実習させて頂きました。浅野牧場でも、後期に行った浜中町の永洞牧場でも、お客さんとして受け入れてもらうわけではなく、実習生でもなく、本当の働き手として受け入れて頂いたと思っております。当時は全く無知な学生でしたので、浅野さんや永洞さんに少し注意されただけで、「私は、何でこんな知らないことで言われて怒られないといけないんだ」と思っていたのですが、今考えるとそれらすべてが愛情だったんだなと感動しております。
そのように2年生と3年生を過ごし、4年生になって卒業論文を書くにあたり、私は神奈川県に戻り、秦野という町の酪農家13 軒を対象に調査をしました。きっと実践酪農学に行っていなかったら、農家さんと対等にお話しすることができなかったのではないかと思いました。その時の調査は青色申告といった、経営の神髄にまで深く入り込む調査をさせて頂きました。経営に深く入り込んだ話をできるのも、実践酪農学で農家さんにとても近い立場で実習をさせて頂いたお陰だと思っております。
最初、2年生の時、私は酪農にあこがれた都会の娘さんでした。酪農の厳しさも全く知らず、3年生の前期までは酪農1本で行こうと決めていました。3年生の後期に、厳しいと言うよりとてもシビアな人間関係を経験しまして、酪農、農業というものは、ただ華やかで牛乳が毎日飲める楽しい仕事だけではないことを学びました。そして今、私は就職活動して、餌会社に就職します。酪農の道に進みたいと思っていましたが、修士2年生の夏に周り(親)からものすごい反対を受け、結局は一般企業に決めました。反対する人がいなくなるまでは、地道に一般企業に居ようと思っております。この先、仕事で何回も挫折することがあるかと思うのですが、その度に酪農のことを思い出して、その時に酪農をやりたいと思う気持ちがあれば、酪農の道に進むことも可能ではないかと考えています。農業というのはいつでも門が開かれているものだと思っています。その時にまだ酪農のことをやりたいと思っていたら、酪農の道に進みたいと思っています。
実践酪農学に進んでも、一般企業に入ったり、酪農家に嫁いだり・・・酪農の仕事につかない場合でも、こういう農業の現場を知って生きていくというのは、とても大切なことではないかと思います。これが私の答えなのです。
酪農学科ではほかの人はたった3週間しか実習できませんが、実践酪農学に進んだことによって、他の人が学べない、実習の先にある人間関係や農業の厳しさを学べたことが、私にとって1 番大事だったと思います。
最後に、実践酪農学に携わっている先生や受け入れて下さった酪農家の方々や農協の方々、その他のお世話になった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございました。
大学院生 三浦裕美
干場先生の家畜管理学研究室で修士2年の三浦裕美です。私は東京出身で、先ほどのNHKの映像の時よりも今は8キロ痩せています(笑)。東京で普通高校に通っていて、何がきっかけかは分からないのですが、酪農をやりたいと思っていました。北海道に酪農学園大学があるのを知って、説明会を聞きに行ったら、ぜひ君のような人は来るべきだと言われて、そのまま入ってしまいました。
大学院生 三浦裕美
酪農をやりたかったので、何も迷わず面接でも実践酪農に行きますと話し、そのまま実践酪農学に進みました。酪農の知識が全く無い中で実習を始めて、2年生の前期では浜中町の二瓶牧場で約4ヶ月間実習を行いました。時期が夏だったので、草の作業とかも体験させて頂きました。農家の敷地内にこのトレーラーハウスがあり、中はとてもきれいで、一人で生活していました。
(スライドを示しながら、牧場の様子を紹介)
二瓶さんではご飯を3食出して頂いて、生活も農家さんと一緒にしていた感じです。他の農家さんに出かけるときにも一緒に行かせていただき、農家さんの生活を体験させていただきました。4時半に起床して、二瓶さんの家はちょっと変わっていて、起きてすぐに食べてから作業をするので、それで太ってしまったのかもしれません。もりもりここでご飯を食べてから午前の作業をして、作業が終わってお昼まで休憩があって、またご飯を食べて、午後は自由な時間があって、15 時から午後の作業があって、作業がすべて終わってご飯も一緒に食べるので、すべてが終わるのはいつも20 時半位です。二瓶さんでは放牧を行っていました。浜中町では放牧をしている農家さんがとても多いです。
3年生の後期は、鹿追町の浅野牧場で約4ヶ月実習しました。この時は冬なので寒く、朝は真っ暗な中から始まって、外作業は厳しかったです。
これが浅野牧場の概要です。
(スライドを示しながら、牧場の様子を紹介)
私が生活していた町営住宅です。浜中町の時は、農家さんの敷地内に住宅があるのですが、鹿追では町営住宅に住んで、そこから車で20 分位で通っていました。中はとても広いのですが古く、ここでは結構ネズミに悩まされました。浅野さんでは、従業員さんが働いて、その方とも仲良くして頂きました。4時に起床して車で移動してから作業をやって、夕方の作業も車で移動し、終わるのがだいたい19 時でした。基本的に一人暮らしと同じで、自炊しなければなりません。
集中事業の日は忙しかったです。今は改善されているのですが、私たち1 期生の2 年生の前期の時には、朝作業をして昼間授業を受けて、また戻って来て作業をするというスケジュールでした。今は改善されて、朝作業をしたあとはずっと夜まで集中講義を受けるということになっています。しかし、夜は遅くなるので次の日はちょっとつらくなりました。
先生とのやりとりは、2週間毎に巡回が行われ、猫本さんが巡回に来てくれました。月に1-2 回の集中講義があり、メールなどで届くレポートの課題をしたり、実験や調査などを行いました。
実践酪農学に行って良かった点は、ある程度長い期間の実習であること、少人数授業で質問などがとてもしやすいこと、実際に作業をしながら大学の勉強をするので理解がしやすいこと、先生に相談できるという安心感があること、農協や町内の人に仲良くしてもらえることなどです。
困った点は、浜中町では買い物などに行く移動手段がなかったことです。今は改善されているのですが、農家さんに車を出してもらわないと移動できませんでした。ネット接続がうまくいかなかったこともあります。牛の皮膚病が移った時は、釧路の病院まで行くのが大変でした。鹿追町では、車をぶつけられたことがありました。また、天井からネズミが落ちてきたこともあります。風邪をひいたときは、一人なのでちょっとつらかったです。
全体的には、大学から離れて実習するので、とりたい授業や資格がとれないことと、学校にいないときの対応がうまくなされていないことが私の頃にはまだありました。就職活動をする場合は、出遅れてしまうという心配もあります。
実習から学んだことは、酪農についての知識はもちろんですが、体力とか要領が良くなったと思います。人に教えることも学びましたし、忍耐力がついて精神的に強くなったと思います。私はとても緊張して人の前でしゃべるのは苦手なのですが、実践酪農に行ってから度胸がつきました。また、たくさんの様々な人と接することができ、農家の方や従業員の方、先生方、また同じ1期生とのつながりが今でも続いていて、本当に良かったと思っています。
私は、卒業論文の時から、大学院に入ってからも浜中町の総合的評価という、浜中町の農家さんがより良くなるような研究を行っております。この研究ができるのは、浜中町で実習していたことから、農家さんらに協力して頂きやすかったためだと思います。
1期生の時は、先生方も農家さん方も手探りの状態で、私も不安になることも多かったのですが、今はもう今年の4月から6期生が現地に出発するということで、ずっとこの実践酪農学が続いていってほしいと思っています。
先生方や農家の方々、農協の方々にはお世話になりました。農協の方にはお風呂のふたまで買ってきて頂いたり、ネズミの時には先生に部屋を修理してもらったりなど本当にいろいろな方にお世話になりました。これからも実践酪農学を続けていってほしいと思います。私たちも1 期生としてサポートできることがあればいいと思っています。ありがとうございます。
◆<パネルディスカッション>
新名正勝 (座長)
最初に、受入農家さんと農協さんに、ずっと携わってどんなことをお感じになっているか、もし改善すべきところがあればこんなことだとか、何でもよろしいので、5分ずつお話し頂きたいと思います。
奥秋吉広 (鹿追町受入農家)
鹿追町では、酪農家9 名のファーマーズスタッフで学生を受け入れております。ファーマーズスタッフは、従業員または研修生を雇う側の勉強会・・・受け入れる側も勉強をしようと結成された会です。浅野さんから引き継ぎまして、私が2代目の会長をしております。
私は、常に外で寒い中ほっかぶりをして仕事をしていまして、学生、従業員、奥さんはいつも暖かい暖房の入ったパーラーで搾乳をしています。ですので、私が学生を直接指導することは少ないです。家内の方が順序立てながら少しずつ指導し、最後はしっかり搾乳ができるようになって実習が終了しているようです。
鹿追町ではJAが町から住宅を借り上げ、そこから学生が通うため、車の事故が一番の心配です。決して雪があるからというわけではないのですが、夏にも電柱を倒した人がいて、通行止めになりました。体に一つも傷もなく車だけで済んで大変良かったと思っています。今いる学生は、12 月暮れと1 月早々に2 回ほど道路の側溝の深さを測りに行きました(側溝に車を落とした)。JAの整備工場にはお世話になっております。私としては、とにかく怪我の無いように学生を 帰したいのです。
奥秋吉広(鹿追町受入農家)
横岡智 (JA鹿追町)
私が実践酪農学コースの受入を担当しておりますので、簡単にJA鹿追町での取り組みについて説明させて頂きます。酪農学園大学とJA鹿追町は、非常につながりが強く、現在9 名の卒業生が職員として勤務しています。実家を継いだとか、転職・退職者の方を含めると、昭和58 年にはじめて酪農学園大学の卒業生が就職してから、トータルで13 名がJA 鹿追町で働いています。
今年度(平成21 年度)の新卒採用者は1 名だけですが、その職員は酪農学園大学の卒業生で、現在営農資材課で餌の担当をしております。平成22 年度も酪農学園大学から2 名の採用を内定していて、内1 名は実践酪農学を卒業する学生さんです。鹿追町には実習には来ておりませんでしたが、足寄に入っていた時に集中講義で鹿追に来ていました。
平成17 年度から、今まで25 名の学生が鹿追町で4ヶ月実習をされました。
JA鹿追町では、町の協力を頂き、かなり古く年期の入っている公営住宅を、年間通して4戸借り入れており、4名の学生の受入が可能となっています。また、通常生活の最低限のものとして、洗濯機、テレビ、電子レンジ、ガスコンロ、冷蔵庫、机、いす、食器棚、照明器具、カーテン、ガス湯沸かし器などを購入し備え付けましたので、学生さんは、食器と布団を持ってきて頂ければ普通の生活はできる状態になっています。
先ほど三浦さんのお話にもありましたが、最初は古くて整備がなっておらず、天井からネズミが降ってきたりとか、バリエーションに飛んだ虫たちが床から湧き出てくるという家だったのですが、猫本先生と一緒に穴を補修し、最初の頃よりは良くなってきました。受入農家さんは、今日は4 名の方に参加して頂いていますが、奥秋さんが会長のファーマーズスタッフという酪農家9 戸の組織にすべて受入をお願いしています。今まで前後期で9 回受入をしていますが、多い方で6 回受入をして頂いています。
公営住宅から通勤するので、車を貸与して頂き、それぞれの牧場にあわせて朝夕通いで出勤して頂きます。毎回、単独事故や部屋の鍵を無くしてしまった等々、いろいろなことが起こりますが、それぞれの学生さんが目標や意識を持ってがんばっていますし、受入先の評価が満点だった学生さんもおられます。
JAとしてお手伝いできることは限られていますが、今後も一生懸命サポートしていきたいと考えています。学生さんの日常的な実習につきましては、本日来られ た酪農家の方に後ほどお話し頂ければと思います。
(パネラーより質問)
鹿追町には女性中心の立派な施設がありましたが、そこを拠点にして受け入れているのですか?
奥秋吉広 (鹿追町受入農家)
鹿追町ピュアモルトクラブハウスといいまして、女性専用の研修施設です。男子禁制で私も一歩も入れないです。研修期間は1 年間、最低で6 ヶ月という規程があり、畑作か酪農、もしくは畑作を終えたあと酪農に移行してまた春までいるということもできます。学生をこの施設で受け入れるとことはできません。今年度は3月17 日で終了します。4 月からはもう10名の入る子が決まっています。途中で入れ替えるということも一切ありません。
岩松明美 (浜中町受入農家)
岩松ファームでは、平成18 年から7 名、交換実習生を含めて11 名の学生を受け入れてきました。それぞれみんな一生懸命だったのですが、前期は何も知らないで来ているので、何が分からないのかが分からない状態です。言われたことは黙々としてくれているのですが、先ほど庄司さんも言っていたように、疑問に思っていることは、すべて聞いて欲しいと思いました。不安とか慣れていないとか遠慮だとか、色々あったと思いますが、聞いてくれないと何が分からないのかこちらも分からないし、学生さんも分からない。それで歯車が合わなくて、沈黙の日々が続くこともあったなと思っています。
岩松明美(浜中町受入農家)
後期は体験がある中で、少しレベルアップした疑問質問がくるようになります。こちらもまずいなと思って自分たちも学ばなければいけないと、いい刺激になったと思います。
夢が明確になってきているので、その夢を一緒に語って、農家が本当にいいんだよ・・・ということを教えてあげたりできました。
受入体制の違いで、学生たちがかなりストレスを感じている時があります。鹿追と浜中の違いもあると思うのですが、どちらがいいということではなく、今与えられた酪農体系の不便さ、自由の中の不便さを、4ヶ月という中で自分を見つめ直したり、現場の厳しさを分かってもらえたらと思っていました。
去年の交流会では、現場は教室なんだよ・・・ということを知り、私が何を教えられるのか?ということを考えてました。私は農家にお嫁に来ただけで、勉強はしていないのです。私は本当の実践酪農学をやって12年です。みんなは、大学で座学を聞いていろんな知識を知っているかもしれないけれど、私は知らなくてすべてが実践酪農学です。それを一緒にやっていきたいなと思いました。私も色々勉強をしたり、本を読んだり、いろんな人に聞いたりしたので、学生たちにもそういう体験をいっぱいして欲しいなと思っています。
短い人生の4ヶ月、8ヶ月かもしれないけれど、無駄にして欲しくないと思っています。体験を全部自分のものにしてやるぞ、という気持ちでやってほしいと思っています。
最後になりましたが、実践酪農学のこのコースが高い評価を受け北海道の酪農に貢献できるようお祈りいたします。ありがとうございました。
高橋圭二 (酪農学園大学)
現場で取り組んでご自身で勉強されたということで、私も、大学の時には座学ばかりで、酪農を勉強したいと、卒業してから現場に10 ヶ月ほど実習に入って、その時に酪農とはこういうことなのかと毎日毎日分かるという体験をしています。現場でそして経営者なのですから臆することはないと思います。学生にとっては大先生ですので、これからもよろしくお願いします。
新名正勝 (座長)
全然遠慮なさらずにどんどん学生に対応して下さい。毎日の生活も経営も学生にとってはすべでが教材ですから、何も遠慮なさらずにお願いします。
寺山麻衣子 (JA浜中町)
実践酪農学がはじまった当初から担当していますが、当時は私も4 月に農協に入ったばかりで、ついこの間まで学生だったという時点で、いきなり担当にさせて頂き、学生と同じ様な気分でいながらも、だけれども自分は農協の職員なので、学生の気持ちも何となく分かるし、それでいて農家さんの対応の仕方も一緒にこの酪農実践学をとおして学ばせて頂いたと思っています。
寺山麻衣子(JA浜中町)
現在浜中町では、3 戸の農家さんで受け入れてもらっています。それぞれ放牧だったりとかフリーストールだったりと飼養形態は違っていますが、住む所はトレーラーハウスで農家さんの庭先に住む所があります。農家さんの目の届く所でプライバシーを尊重しつつも農家さんに気にしてもらえるというところで生活して実習してもらっています。食事は、朝だけ一緒に食べたり、全部自炊のところもあるのですが、たまにお裾分けしてもらったりするなど、農家さんとの交流も遠くに住んでいるところよりは深められると思っています。買い物なども、今は農家さんに車を用意してもらったり、農協でも1 台用意してそれを使って遠くに買い物なども行けるようになっています。農家さんの庭先にいるので具合が悪い時や風邪気味の時など、薬をもらったりしやすいです。農家さんが忙しくて病院に行けない時などは、代わりに私の方にすぐ連絡を下さるので、近くの病院に連れて行ったりできます。トレーラーハウスはまだ新しいのですが、毎年学生さんに不備なものとか、必要なものとかを聞いてなるべく快適に過ごせるように努力しています。
1期生の後期の学生さんの提案で始まったのですが、違う農家さんを見て体験してみたいという意見があったので、実習に来ている4ヶ月の中で1泊から3泊位で交換実習というのをやっています。これは強制ではなく、学生さんの意見を聞いて、やりたいという学生さんはやってもらい、そのままその農家さんで集中してやりたいという人もいます。
集中講義は月に1回くらいですが、その日の夜に交流会を行います。その時私たちは、農家の後継者の方々に声をかけています。結構興味のある方がおられて、繁殖の研究をしている先生の今最新の研究成果などを聞いていろいろ勉強させてもらっています。
興味のある農家の息子さんがその後も連絡を取りたいと言われて、そのように学生さんだけでなく後継者の人も大学とつながりが持てるようになっています。
(パネラーより質問)
トレーラハウスはJAが設置しているのですか?
高橋勇 (JA浜中町)
トレーラーハウスは、平成14 年の補助事業で頂いて設置したものを使っています。農協が農家さんに賃貸しているのです。
桑原光孝 (足寄町受入農家)
私の牧場は山の上、丘の上にあって足寄町なので放牧をしています。5年前に新規就農し、就農した当初から実習生という、私にとってすごく心強い人たちに来て頂いてます。
桑原光孝(足寄町受入農家)
実践酪農学コースは、3年前の妹尾さんの時からです。私にとってもすごく刺激になりまして、一緒に勉強させてもらっているという思いがあります。それだけでなくパワーをもらうというか、若さをもらうというか、就農したての時の気持ちに戻れるというか、来る人みんながそういう気持ちにさせてくれるのです。
学問ができなかったので、勉強が嫌いだったので、体を動かすことで飯を食わなければという思いがありました。高校を卒業して建築関係の仕事に就いていたのですが、ある時、人に使われるのがすごく嫌になって、自分で社長になろうと決めたのです。頭がないので体を動かすことしかないと思って、考えたところが農業だったのです。そう思った時には自分で何でもやろうと決め、酪農の世界に入りました。
免許はないのですが受精も自分でやりました。自分がやれるのだから学生さんもできるだろうという思いで、妹尾さんにもやってもらいました。5頭ほど受精して、ちゃんと子供も生まれて、うちの収入になりました。
その後の学生さんたちにもいろいろ教えて頂くことがいっぱいあって、去年の夏来てくれた学生さんにもいろいろ教わりまして、うちの子供たちの世話もしてくれました。大学にも感謝していますし、学生さんたちにも感謝しています。
一生の中で巡り会う人が何人いるのだろうと思うと、出会えた学生さんに私ができることは何なのだろう・・・一生懸命やってあげたいと思う気持ちになります。この授業をこの先ずっと続けて頂ければいいと思います。
坂本秀文 (足寄町役場)
実践酪農学コースは平成18年から今までに10 名を受け入れております。その間、色々事故とかありまして、最初は大変だなと思ったのですが、回を重ねるごとにだんだん親近感が湧いてきました。ちょうど浜中と鹿追の真ん中なものですから、疲れた者が俺のところにやってくるのかと感じました。
坂本秀文(足寄町役場)
足寄は、そんなに規模は大きくなく家族経営なので、教えることは少ないのですが、浜中と鹿追でがっちり仕込まれてきているので、すぐ対応ができました。農家の方も自分の息子には教育できないのですが、不思議なもので学生には教育できるのです。自分の息子とはいがみ合ってどうにもならなくても、実習生や若い女性が入ると丁寧に教えるのです。これは何だろう?と考えてみて、意外な効果があることが最近分かってきました。実習生を通して、自分の息子を教育できるということです。受け入れを2回3回繰り返しているうちに、親子の対話が成立して、「父さん、俺農業やるわ」というように、後継者になってくれたことがありました。足寄の場合にはこういう見えない効果があるのです。そういう点でもこの実践酪農学というのは大きな意味を持っています。
昔は農学あって農業なし、などと大学は地元に入ってこなかったのですが、大学が独立法人になってからは、農家に入って来るようになりました。農家との会話の中で、こんなことを聞いてどうするのだろうと大学に対して農家の人が言います。すると教師の方も自分の研究が農家のために役立っているのだろうかと思い、その中から本当にお互い役立つ研究をしようと、別な方向に回っていくようになります。今までの大学教授は雲の上の存在だったのですが、地元に入ってきて、中学しか出ていない俺のところに来てこれを聞かせてくれ・・・と言われると、農家も自信を持って言えるのです。自信を持つようになって、お互いに勉強しようというようになるのです。
十勝には帯広畜産大学があり、畜大の学生を卒業論文のために送り込んできます。受入農家もどんどんレベルが上がってくるし、社交性も向上し、そういった目に見えない効果が、この実践酪農学を通して入ってきたことは間違いないです。受入農家が増えてくると、間違いなく地域が活性化すると私は思っています。
本来なら、農協が実践してやらなければいけないことです。足寄の場合は役場がやっていって少々変則的ですが、農協とスクラムを組んでやれば、この事業はすごく発展するなと思っています。
農学あって農業なしではなく、本当に農家に役立つ学問になると私は思っています。役立つ学問を農家にフィードバックしなければ、何のための大学だということになってしまいます。農水省もこういう事業にはどんどん力もお金を入れて欲しいと思います。
新名正勝 (座長)
宿泊施設が新しくできたこともご披露お願いします。
坂本秀文 (足寄町役場)
足寄では去年8,000 万円かけて宿泊施設を作りました。妻帯者用が2部屋、独身者用が4部屋です。最初はそんなに来るのかと言われたのですが、今は妻帯者用は埋まっています。独身者用には2人入っています。
不思議なもので放牧酪農というのは、言葉がいいのか、何故かみんなが寄ってきます。鹿追町のように儲かるわけではないのですが、若者にイメージがインプットされているのだと思います。
東京の方も牛乳がどこで生産されているのか分からないという話でしたが、確かに消費者には分からないと思います。そんな中、高学歴の学生が農家をやりたいと入ってくるので、こちらも(良い意味で)戸惑ってしまいます。
今新規就農するには5,000 万円位の負債を抱えることになります。本当にやれるかやれないかを見極めなくてはいけないのです。そういう実習生と実践酪農学の学生が一緒にワンフロアの中で交流できますので、若者を呼ぶチャンスになるのではないかと思います。
(パネラーから質問)
足寄町では何戸くらいのグループでやっているのですか?その宿泊施設には学生も入っているのですか?
坂本秀文 (足寄町役場)
酪農学園大学用に2部屋確保してあります。
受入農家は、特定していません。放牧酪農家は暇ですから、受け入れなくてもいいのです。
今までと変わった点は、学生がいい情報を持ってくることです。浜中や、鹿追の経験を聞いて、それを足寄でまねをしてみたりするのです。以前、放牧が嫌いな農家がいましたが、視察に来てから、半分の農地を放牧に切り替えた農家もいます。
放牧酪農には40 戸ほどの農家がいるので、2-3 名の受け入れはいつでも対応できます。
新名正勝 (座長)
地域によってかなり状況や受入の仕方も違いますが、それぞれが工夫をこらして受け入れて下さっています。4ヶ月の長期の実習に、全くの未経験者を入れるということはできないので、10日間位の短期実習をあちこちにお願いしてやっていました。ここ2年位は、その短期実習を滝上町が一手に引き受けてくれています。その辺の事情と状況などを含めてお話し頂きたいと思います。
長沼豊 (滝上町役場)
実践酪農学の短期受入を平成20 年から2年間行っています。大学の方に酪農ヘルパーや研修生の募集をしていましたが、なかなかいないので、新名先生に卒業生を回してほしいとお願いに再々伺っていました。
長沼豊(滝上町役場)
その中で、この実践酪農学の話が出てきて、それなら滝上町を学生さんたちに知ってもらうために、受入をすることにしました。
20年には11名、21年には11名を受け入れさせて頂きました。10日間という短期の研修ですが、実家が非農家であるとか、農家の生活を全然知らない方もおられます。短期であっても農家の1日の生活を体験できるということは、その後の座学・実習にかなりいいものになると思います。実際、20年には未経験の方が6名、21 年には未経験の方が10名おられ、受入農家の人は大変心配しておりました。事前に酪農家の皆さんと協議をしましたが、短期間であまり厳しい仕事もさせられないし、怪我をしても困るし、どういう対応が良いか色々協議をしました。裏話ではありますが、せっかく意欲を持ってきてくれる学生さんの意欲をしぼませないような、いい思い出ができる受入をしていこうと話をさせて頂きました。
実際に今まで怪我をした学生はいませんし、なかにはどんな研修をしたのと聞いたら、「松茸取りに連れて行ってもらった」などと喜んでいる学生もおりましたし、いい思い出が残ったのではないかと思っています。
受入農家戸数は30戸ほどなのですが、フリーストールから繋ぎまで、放牧酪農などいろんな形態の酪農家がいます。規模もそれぞれですが30戸の中から、8戸の農家が受入を表明していただいて、2年続けています。
実践酪農学の導入の部分であり、初めての経験という学生達を受け入れるので、責任は大変重いのですが、これからも続く限りは受け入れていきたいと考えています。町としても支援していきたいと考えておりますのでよろしくお願いします。
新名正勝 (座長)
10日間というのは一番中途半端で、慣れもせず、ちょっと話ができるようになった位で終わるというようなものです。滝上町には、人が来る・若い者が来るということに意義を認めて受け入れて頂いてます。迷惑をかけっぱなしで、すぐ帰ってくるような状況なのですが、わざわざ町からバスを仕立てて大学まで迎えに来て頂き、帰りも送ってくれるという、我々にとっては大変助かるご協力を頂いてます。
(会場より質問)
10日間というのは一番中途半端で、慣れもせず、ちょっと話ができるようになった位で終わるというようなものです。滝上町には、人が来る・若い者が来るということに意義を認めて受け入れて頂いてます。迷惑をかけっぱなしで、すぐ帰ってくるような状況なのですが、わざわざ町からバスを仕立てて大学まで迎えに来て頂き、帰りも送ってくれるという、我々にとっては大変助かるご協力を頂いてます。
奥秋吉広 (鹿追町受入農家)
個々の酪農家によって形態が非常に違います。朝3時半のところもあればごく普通のところもあります。フリーストール、繋ぎ、スタンチョン、干し草、午前中に多少作業のある酪農家もいます。今9件の酪農家全員が従業員を抱えています。他に研修生が2人ないし3人います。中国人の研修生を受け入れているところもいます。
作業上のマニュアル的なものはありません。以前、担い手センターにおられた筒井さんが、昔、普及員として鹿追におられたことがあり、鹿追農協に招きました。町内の従業員を受け入れている方々に声かけ、使う側の責任、事故、等々、そういう形の中で勉強会を行っております。そして、従業員を使っていく上での最低限の使う側のマナー、最低限の保険なども決めて、規約規程なども定めてやっております。
加藤和彦 (北海道農政部)
担い手対策を色々やっておりますが、北海道の農家数は平成20年で52,000戸で、毎年1,000戸位が離農しています。新規就農される方は600から700人位ですので、多少変動はありますが、毎年農家数が減っています。
加藤和彦(北海道農政部)
今までは、経営規模拡大で、離農された方の土地を、残った方が使ってきました。全国的では高齢化などで耕作放棄地が39万ha あります。埼玉県が38万ha ですので埼玉県位の耕作放棄地があるのです。北海道の耕作放棄地は、統計上は2万ha位なのですが、実際は1万ha位なので、耕地面積の1%程度です。それらは非常に条件の悪い場所ですから、実質的にはあまり耕作放棄地はありませんが、今後こういうペースで行けば担い手不足が非常に深刻な問題になります。
そんな中、後継者の方や新規就農者、あるいは農業改良普及センターで営農指導される方は全道で700人位おられ、そのうち7割位は酪農学園大学の出身者だと思っております。非常にがんばっていてバイタリティーのある仕事をしてくれています。その他、農協など色んな形で酪農学園出身者の方が地域のリーダーとしてがんばってくれています。
道も担い手対策として、十勝の本別町に農業大学校を持っています。ほとんどが農家の後継者ですが、高校を出て2年間、授業の半分は実習で、それも農業大学校の中での実習がメインで、農家研修は1ヶ月位です。指導している方(普及指導員)に聞きますと、後継者が8-9割ですが、農業のことを全然知らない・・・農家の方に教えるのと全然違う・・・後継者と言えども全然知っていない・・・1から教えなければならない・・・知っている人に教えるのは簡単だけれど、知らない人に教えるのは難しい・・・と話していました。その中でも8割位は就農して、わずかながらでも担い手育成に役立っているかと思っています。
1ヶ月の実習でも大変だと思う中、この実践酪農学で4ヶ月の実習を2年間やるというのは、学生さんも非常に大変だと思いますし、受け入れる農家の皆さんも単なる労働者としてではなく、きちっと、そして怪我をしないように気を使いながら教えていくという努力をされていることと思いますし、農協さんも、役場さんも非常な努力をされているなと思い、感服いたします。
日本の食糧自給率は41%で、先進国の中で最低です。国の方ではそれを50%に高めようとしていますが、実質なかなか難しいかと思います。農業を担っていく人たちをいかに確保して、農地を有効に使っていくか・・・担い手を育てていくことが一番大事だと思っています。こういった取り組みを長年培った大学と地元の皆さんとのつながりの中で、少しでもこういう取り組みを広げていって欲しいです。
私も農業系の学校を出ましたが現場を何も知らず、社会に出てはじめて、学生時代もっと勉強をすれば良かったなと思いました。学生時代に現場を見て専門的な知識を深めるのは大事だと思います。実践酪農学という仕組みがないと、口で言っても聞いてもなかなか分からないと思います。こういった取り組みを広げていくことを期待しております。
青山俊夫 (北海道農業開発公社)
昨年の3月まで北海道農業担い手育成センターで、農業の将来の担い手、農家後継者とか新規就農者を育てる仕事をしていました。昨年の4月に北海道農業開発公社と合併して、組織を大きくしてやることにしました。
青山俊夫(北海道農業開発公社)
農家後継者を育てるのは親の役割と私は思っているのですが、北海道の農家後継者、Uターン者、新規参入者の方々を農村に送り込む窓口の役割を主に担っていこうと思います。それともう一つ、後継者の方々に嫁さんをどうやって見つけるかが、大事な課題です。最近の計算では、毎年1,700人が農家に入ってこなければ、今の農業は維持できないということになります。新しく農業を始める方が700人位だとすると、あと30年経つと北海道の農家戸数は半分になってしまいます。非常に危ない状況だと思います。
地域によって違いますが、鹿追町のように元気なところは後継者の充足率が高いです。水田地帯では高齢化が進んで、非常にきびしいです。非常に厳しいので、みんなで力を合わせて、北海道の農業を背負っていく人を育てていかなければならないと思っています。
そういうわけで、実践酪農学コースというのは非常に有意義ではないかと思います。とかく大学というのは学問を教えるところであって、知識を教えてあとは本人次第・・・農業の実践は現場で・・・という考え方があってもいいのですが、大学自体も人間を育てていくというところに一歩踏み込んで頂けたというのは、大変画期的なことだと思っています。
酪農学園大学だけでなく、深川にある拓殖大学も新規就農学科というのを作って、同じようなシステムが行われていました。今は役割を終えたということで、窓口が閉められています。そういう意味では、北海道で唯一農業者を育てていこうという取り組みをされているのは本当にありがたいことです。
酪農に関していえば、私のところに北海道で農業をやりたいという人が来るのですが、今、酪農の人気度は下がっています。下がっている理由は幾つかあるのですが、濃厚飼料が上がった・・・金利が上がった・・・苦しい苦しい・・・と言うと乳価は上がるのですが、あまり苦しいと言うと、そんな苦しい農業はしないということになってしまうのです。今、酪農をしたいと言って来る人は、動物が好きだから酪農が好きだからやりたいという人が中心で、北海道の酪農に憧れてという人は減ってきています。そういう意味では本当にセレクトされた人が来るということです。それが一つと、他の作物と比べて酪農は年数がかかるということがあります。今、非常に希望者が多いのは野菜です。施設園芸が非常に多いです。施設園芸の場合は3年で経営をスタートさせることができますと言えますが、酪農は3年では無理です。幅広い知識とか経験が必要とされます。それとお金がかかるので5年かかります。時間がかかるのでスタートの時点を少しでも早く、大学の中で知識なり技術なりを習得する機会を早めに前倒 しするということは、ありがたいことだと思っています。今酪農家もどんどん高齢化が進んできて、後継者もいない、そして周りももう土地がいらないと、自分の代で閉じなければならないが、牛舎もあるし何とか誰がこの経営を引き継いでくれないか・・・という方が非常に多くおります。
昨年から、ファーモン事業というのをやっています。農業経営検証事業といいまして、離農してからそこに人を入れるのではなく、今現在、経営をやっているが後継者がいない、あと何年かしたら辞めざるを得ないというところに入り、何年間か一緒に経営をやりながら、引き継いでいこうという事業です。今現在、北海道の酪農家で20 数戸の登録がありますが、実際は、もっと潜在的にたくさんあると思うので、そういうところも含めて、酪農をやりたいという意欲にあふれた若い人たちを大学も育てて送り込んで頂きたいと思っています。
高橋勇 (JA浜中町)
25年前から研修牧場で新規就農者を受け入れさせて頂いています。平成3 年に農協と浜中町で研修牧場という牧場を農協の育成牧場の中に作って、搾乳牛等100頭位を飼養しています。農業に全然関係のない夫婦の方々に来て頂き、そこで3年間位、毎日搾乳から実践で酪農を覚えてもらい、時期が来れば、離農のところに入ってもらいます。
研修牧場ができてちょうど20年位です。その前から新規就農者を28人受け入れていますが、ほとんど本州で他の仕事をされていた方です。生産現場ではきちんと物事が分からないと、やれないです。頭で分かっていてもできないことがたくさんありますし、知識がなくても経験やキャリアでできる部分があるます。実践酪農学では、若い学生が大学のカリキュラムで学んで、現場でも学んで、両方できちんと基本を覚られるので、非常に将来役に立つと思います。
たまたま自分は、酪農家の子弟だったので、子供の時から乳搾りを手伝わされていました。酪農学園大学で講義を聴くと、理屈では全然分からなくても体では覚えているので、なるほどとよく分かりました。実践酪農学はまだ数年しか経っていないので、これから卒業生が社会に出て、生産現場に入って何年かすると、はっきりした成果が出るのではないでしょうか?期待をしているところです。
高橋勇(JA浜中町)
丸岡充 (文部科学省)
実習にいかれた学生さんは、大変苦労されて、貴重な経験をされているのだろうと思います。そういう経験した学生をどんどん増やしていって、学内に広めていって、規模を増やして頂ければと思います。その一方で、規模を増やすのには課題があると思います。受け入れる側もメリットがあれば、苦労されています。大学教育の中から長期間離れることの課題をどうするか?、規模を増やせばいろんな学生が増えて、色々と難しいことも出てくるだろうと思います。
この「質の高い大学教育推進プログラム」は、3年間財政支援して、優れた大学教育の取り組みをさらに充実発展させていくことが目的です。ぜひ、今後に向けての工夫とか、あるいは受け入れ側を整備して頂いて、外に示していって頂くことを期待したいと思います。
国として財政支援をというお話もありましたが、なかなか財政事情も厳しいということがありますが、こういう大学の取り組みに予算をいっぱいつけないと・・・という話もありますが、皆さんの声が大きくならないと、そういったことは難しいのです。大学として、こういったことをやっていて、こういうメリットがあります・・・ということを明らかにして頂きたいです。この取り組みで、どういういいことがあったのかということを整理して、外に向かって発信して頂きたい。
丸岡充(文部科学省)
干場信司 (酪農学園大学)
酪農学園大学は、農家の方がお金を出して設立した大学ということを皆さんはご存じでしたか?そのことから考えると私たちの大学がどういう役割をしなければならないか、あるいはどちらを向いて仕事をしたり教育をしたりしなければならないかということは、ものすごく明確だと思っております。
干場信司(酪農学園大学)
実際に役に立つ教育をと考えた時に、やはり現場に学ぶということが一番大事なことかと思っています。現場に学ぶのは今回学生さんに入ってもらって、ということなのですが、実は、学生さんを通して一番学ばなければならないのは我々教員だと思っていいます。学生さんが入りましたら、我々も行かなければならないというシステムであり、先生たちが少しでも現場に入って、現場から学んで、そして教育をするということによって、変わってくるかな、というように思っています。
今日発表してくれた、3人の1期生が果敢に挑戦をしてくれて、その挑戦のお陰で、他の学生もいろんな話を聞くことができていることも意義が大きいと思います。
この実践酪農学がスタートできましたのは、実は農家さんからせっつかれたというのが実際のところです。以前から浜中町にはお世話になっております。いつも行く度に、いつやるのかと聞かれ、それをやらなかったら酪農学園大学の意味がないだろうと言われていました。鹿追の方からも当然やるのだろうと・・・やるからには絶対協力すると言って下さっていました。足寄の方からも、当然現場で学ぶことが大事だと言って頂いておりました。そういう協力がなければこのシステムは全く成り立たないと思っております。
今日もお忙しい中、協力をして頂いている農家の方、農協の方あるいは自治体の方、それから道、公社の方においで頂きましたが、このシステムが続いていくとしたら、それは現場のサポートがあるからだと思っています。いかにそれを組み立てて確保していくかが我々の役割だと思っています。現地の農家の方の、あるいは地元の団体の方々の協力と、学生さんのチャレンジ精神がこのシステムを維持できる唯一の方法です。酪農だけではなく肉牛や畑作などいろんな分野で、またこのシステムと同じではないのですが、いろんな形の実践学ができるのではないかと考えております。今後ともご協力よろしくお願いします。
 



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