「実践酪農学」の記録


「実践酪農学」の記録

【1】放牧酪農について  佐藤智好氏(足寄町酪農家)

【2】教育ファームについて  広瀬文彦氏(帯広市酪農家)

【3】専門農協の取組  野名辰二氏(サツラク部長)

【4】都市近郊酪農の実践  百瀬誠記氏(江別市酪農家)

【5】酪農における男と女の役割  石橋榮紀氏(浜中町農協代表理事組合長)

【6】無畜舎酪農と季節繁殖  出田基子氏(清水町酪農家)

【7】酪農地帯における畜産加工  岡田ミナ子氏(白滝町酪農家)

【8】酪農支援の取り組み  中野松雄氏(鹿追町農協常務理事)

【9】酪農生産法人の歴史  白石康仁氏(卯原内酪農生産組合部長)

【10】農業後継者支援策  山下光治氏(北海道担い手センター)

【11】農場の設計手順  船本末雄氏(北海道農業協同組合中央会)

 
酪農生産法人の歴史
 
卯原内酪農
(農場の概要説明)
うちの農場の概要を説明したいと思います。研修施設の1階は事務所と会議室と食堂になっています。2階の3部屋がアパートになっていて、研修生の方が自炊しています。各部屋に流しがついていて、風呂とトイレが共同の研修施設兼事務所です。これが牛舎のちょうど入口に建っております。場所は網走の能取湖のふもとに卯原内という小さな市街地があり、そこから1kmほど奥に入ったところです。サンゴ草って聞いたことがあると思いますが、ここのふもとに厚岸草(サンゴ草の正式名称)の群落があり、毎年秋にサンゴ草祭りがあります。農場の構成員は4戸8名です。内訳は組合長・専務と私が夫婦2人ずつで計6名、それからパンフレットの「歩み」に、平成13年構成員加入2名となっていますが、その一人が組合長の息子、もう一人は京都出身の個人の方です。どちらも結婚しておりますが、このお二人については奥さん方が構成員に入っておりません。構成員というのは共同出資者です。出資者は対等の立場になっているとご理解頂けたらと思います。
耕地面積は、畑作3品と呼ばれる甜菜・馬鈴薯・小麦でだいたい30町ずつです。大麦と大豆はそれぞれ10町、3町という小さな面積なのですが、こちらはサッポロビールとの共同栽培です。飼料作物は37町です。もちろんこれだけで乳牛・和牛を飼うことはできません。パンフに書いていませんが、この他に60町ほどの草地があり、そこから草を買っています(土地を借りているのではありません)。青草1kgあたり今年は1円27銭くらいで、年間にすると600〜700万円を支払っています。13年度から素牛生産を始めました。肥育とは違って、だいたい8〜10ヶ月育てて市場で売ります。数字についてはご覧のように、乳牛はほとんど横ばい、和牛も15年度以降は頭数を増やしておらず、50頭の繁殖牛の子供を売っていますのでだいたい横ばいです。畑作部門で凹凸がある原因のほとんどは麦です。麦が獲れたか獲れないかで、非常に大きな凸 凹が出ます。トータルでだいたい2億円あれば良いかなという経営規模でございます。成績については、経産牛一頭あたりの乳量もだいたいずっと9,000kg 台、昭和51年からずっとこの成績です。脂肪や無脂固形もそれほど変わっていません。ただ、乳価がちょこちょこ変わりますので、凹凸がでてくるような格好です。それから畑作の方をみるとわかるのですが、秋播き小麦が14年に大きく減収しています。要するに畑の方で、黒字になるか赤字になるかが決まる、そういう格好になっております。うちの経営の中では、牛がだいたい毎月の現金の出入りをまかなっていて、畑作は借金の返済とボーナス分をまかなっている、と考えて頂けたら良いと思います。ですから畑作が悪いとボーナスが無くなるのです。パンフレットにTさんが13年に退職とありますが、うちは60歳になると定年で辞めてもらいます。完全な給料制の法人であり、役員の名簿を出さなければいけないため、組合長と専務を名目上の役員としています。役員には給与が出せないので、役員賞与を支給しています。でも、だいたいみな給料は横ならびです。
(農場の概要説明)
(牛舎設計に対する自分の考え方)
これが牛舎の全景です。フリーストール牛舎の左右と真ん中に通路があり、真ん中が餌場になっています。壁側と通路側に寝床が2列並んでいます。真ん中の餌場では機械で餌を押します。餌場から寝床まではまるっきり歩くスペースで、ここに寝床は設けていません。こういう格好の牛舎はあんまりないかも知れません。どうしてこのようにしたかというと、昭和52年〜ちょうど皆さんが生まれた頃に設計した牛舎なのですが、当時参考になるものは何もなかったのです。とにかく基本的には、どうやれば牛の動線が短くすむか、人間の動線が短くてすむか、どうやれば交差しないか、ということだけ重点的に考えました。どうやれば仕事が一回で終わるか、どうやれば短時間で済むか、これが設計の基本になっています。餌やりとかふん出し・掃除に、1時間かけても30分かけても結果は同じなのです。同じ仕事の量なら短ければ短い方が良いのです。唯一、短時間で仕事を終えようとしてはいけない部分は搾乳室だけです。これは牛に合わせるべきで、人間に合わせてはだめです。搾乳室は牛に合わせるような形で考えましたが、ただし、そこで働く人間が楽な環境はつくっています。私の考え方ですが、あくまでも人間がいかに楽に効率よく仕事ができるか、それを考えてつくった牛舎なのです。ですからこれをそのまま真似すると間違えます。ちょっとした寸法〜たった10cmの違いでえらい差が出ます。
(理由、正解と間違い)
皆さんこれからいろんなところに実習に行ったり牛舎を見る際には、建物もそうですが仕事にもすべて理由があるということを理解して下さい。何でそうやっているのか?必ず理由があります。そしてその地域がその理由の大半を占めるのです。要するに今ここで皆さんが教わるのは全国的なレベルの話なのです。牛はこうですよとか、機械はこうやって使いなさいとか、これらは全国的な話です。でも、東京と北海道では牛の飼い方が違います。北海道の中でも十勝と網走では全然違います。網走の中でもうちと隣は違います。飼い方というのは、100人いたら100通りの飼い方があるのです。これで決まった、というのは絶対ないです。こうだからこういう理由で、ここだからこういう格好で、という理由が必ずあります。ですから、これを見て「あ、これいいな、自分のとこでやってみるか」と、そういう単純な考え方でやれば失敗します。自分のところで使うには、どこまでをクリアして応用できるか、そういう考え方でやらないと必ず失敗します。この牛舎は、網走の中の卯原内というところで出来る、そういう条件なのです。そして、最低3人の労働力が前提条件です。2人でやると効率がとたんに悪くなります。1人では絶対できない牛舎なので、個人の方がこの形を真似しますと、必ず失敗します。そういうことが多々、酪農にはあります。皆さん今、いろんなことを教わっていますが、それはすべて間違いではなく、すべて正解なのです。すべて正解でも、それが全部合わさって、それが自分に合うかどうかは別問題なのです。矛盾することも正解なのです。間違いだと言われることも、その地域では正解になる、ということを頭の片隅に入れておいて下さい。「こういうことをしてはいけません」ということをこれから習うと思います。私どもが初めて北海道に来たのは1973年で今から32年前でした。その当時搾乳に対してどういう指導がされていたかというと「乳房をよくマッサージしなさい」、「洗う時は乳房をそっくりきれいに洗いなさい」、「それからお湯でよくマッサージしなさい」、「それから搾りなさい」、そういう指導がされていました。その時は間違いではないのですが、今の牛で今の理論で成績を出そうとすると間違いです。その時の成績でよければ、それはそれで正解なのです。間違いと正解の差というのは非常に微妙なのです。やっていることすべてが間違いということはありません。特に今まで10年20年、牛を飼っている方が実際にやっていることに間違いはないのです。みなさんが「やってはいけません」と教わったことをやっていても、そこでは間違いではないのです。例えばパイプライン搾乳でパイプラインの立ち上げがあったら真空圧が変動するので牛には良くありません" ので間違いです……ではないのです。それでも問題がなければ問題ないのです。その上それは何故かという理由があるのです。そういう理由を無視して「あんたのとこ間違ってる」と決め付けるような考え方ではなくて、何故間違いだとされることをやっても問題がないのか、ということを勉強してみて下さい。牛屋というのは良いことの全てをやっても一つには出来ないのです。こうやりなさい、あーやりなさい、えさ計算はこうしなさい、乾乳の扱い方はこうです、哺育はこうやりなさい……全てやったら失敗します。これらは実際には組み合わさらないのです。そこだけ見たらそのやり方がベストかも知れないけれど、それを入れることによって全体のバランスが崩れる、ということがあるのです。その辺りの見極めに気を付けて頂きたいと思います。
あとは写真を見て頂ければわかると思います。微妙なところでは、このネックレールの高さとか、飼槽の幅、全体の群に対するこの幅とか、こういった数字は今きれいに出ていますので、その通りつくったらほぼ間違いはないと思います。ただし、あくまでも牛のサイズによっても違うことを忘れないで下さい。だいたい言われている寸法は125cm、130cmです。5cmくらいの幅できれいに数字が出ています。でも、牛のサイズが違うのに、それを一生懸命言っても仕方ないのです。ですから、もし自分でやられたり実習されたりする時には、そういうことも頭に入れながら聞いてみて、ここがこうだから〜こうなんだ、そういう理解の仕方をして頂きたいと思います。パーラー室は6頭ダブルのヘリンボーンのタイプで、うちがこれを導入した後にパラレルというタイプが出て来ました。今牛舎が建っているのは、山を一つ崩して土盛りした所なのです。泥炭(ピートモス)が積み重なったような畑なのです。畑の上につくったので、ちょっと掘れば水はいくらでも出ます。でも(泥炭中の)茶色い水なので、洗うとこういう風にコンクリートが黒くなってしまいます。
(農場の最終設計と搾乳)
非常に汚いのですが、こういう古い牛舎でやっております。もう17年経ちますので、そろそろ新しいのに替えろとメーカーは言ってきますね。ただ、私はこれを全然変える気はありません。この牛舎は162の寝床で本来200頭の設計です。都合があってこのサイズにしたわけなのですが、農場の最終設計は400頭搾乳です。400頭搾乳の20時間搾乳が最終設計です。ですから、今これを動かす気はありませんし、新しく大きくする気もありません。パーラーに関しては動けば動くほど、コストが安くなります。搾乳器具が一番お金のかかるところなのです。これ1セットで40〜50万円はします……ホースと搾乳するところだけで。パルセーターをつけたらだいたい40〜50万円します……1個で。これを12頭分つくるのに、1千万2千万という数字がすぐ出てきます。これを回収するのにどうするかと言ったら、搾乳するしかないのです。パーラーを動 かせば動かすほど、搾乳の量が多くなる。そうなるとパーラーの投資に対するコストが安くなる、ということです。ですから最終設計は20時間搾乳。搾乳しっぱなしだったら、機械的に4〜5年で交換しても合うと思います。20時間搾乳というのは、普通個人の方々は朝2時間夕方2時間のせいぜい4時間しか動かさないですが、その5倍動くのは20年使っているのと同じなのです。それで十分ここは採算が取れるという考え方です。酪農の経営に対する考え方にはそういう視点もあります。そういう考え方でなくても良いのですが、私の場合はそういう考え方でつくりましたと理解して頂きたいと思います。
(和牛のはなし)
これは和牛の牛舎です。残念ながらここの牛舎の設計に私は一切タッチしておりません。皆さんは酪農関係ですけども、和牛の勉強もするのでしょうか。私から言わせますと、ホルスタインと和牛は全く別の生き物です。牛という名前がついているだけで、代謝から何から全部違う生きものです。ですからホルスタインの感覚で和牛を飼うと必ず失敗します〜特に哺育は。これは私から見れば牛ではありません。代謝もまるっきり正反対です。私は一切タッチしておりません。下手にホルスタインの知識があるとろくなことにはならないです。ですからパンフレットに書いてあるN氏に一切任せてありますので、残念ながらあまり説明できないのですが、この牛舎は失敗しました。やっぱり全然知らないから、どうしてもホルスタインのイメージが絶対出てくるんですね。和牛は寒いのはだめなんです。特に哺育は寒いのがだめです。30℃超えても全然問題ない、40℃を超えても多分こいつらは全然元気です。和牛はそういう生き物で、ホルスタインとはまるっきり逆です。本州の方がこの写真をを見て何と言った かというと「何で屋根を透明にしなかったの?これじゃ日が入んないでしょ?」。夏でも日を入れるんですね。ところが、マイナス10℃になるとこいつらは死にます。特に哺育は……それぐらい弱いです。哺育の感覚として、ホルスタインの8ヶ月くらいの早産の牛と同じくらい……という私なりの感覚を持っていて、非常に神経を使います。ここはN氏1人にまるっきり全部任せて、やりたいようにやらせています。とにかくホルスタイン(酪農)でしたら、たとえ分娩して子供が死んでも、搾乳で元がとれるのです。ところが和牛は子供が死んだら終わりなのです。生まれるまでに10ヶ月以上かかって、その間の経費は一切全部マイナスになり、すごくシビアな世界なのです。本州の方もそういうことでやっておられますし、非常に難しいのだと思います。ただ、今価格がある程度安定しています。ちょっと私的に理解出来ないのですが、ホルスタインならせいぜい2〜4ヶ月くらいの大きさの牛が50万円を超えています。8ヶ月〜280kg以下の和牛は今だいたい50万円を超えています。買う人が何を見るかというと、競走馬と同じで素牛を見ずに、一番先に見るのは名簿です。過去3代どういう系統か?血統が第一で、これでほとんど買う牛を決めていますね。それから素牛を見てどんどん競り落としていきます。わからないですね〜私には。うちらが売るのはだいたい8〜10ヶ月ですから、実際に肉になるのはそれから2年後なのです。30ヶ月かかるのです。2年丸まる預かった後いくらで売るのかな、素牛が高くて採算合うのかな?本当にわからないのですが、でもやっているということは、何かあるのでしょう。聞くとだいたい100万円くらいで、100万切ったらちょっと合わない、という話は聞きます。でも、中には500万600万という牛も出ます。それは特別な牛なのでしょうけど、要するに、バクチに近い世界のことなので、あまり私はタッチしておりません。舎内はフリーストールというかルーズバーンです。給餌制限みたいな感じで基本 的にはわらで飼っています。わらも枯れて2〜3年経ったわらでないとだめです。青いわらを食わすと栄養がつきすぎます。私から見たらおもしろい代謝をするなと思っています。何でこんなのしか食べないのにこんなに太るのかなぁって、和牛はそれぐらい効率がいい生き物なのですね。
(農場の現状と将来)
将来的に農場をどういう風に進めるか、和牛の導入も考えたわけですが、畑作3品、今ビートに関しては余っている状態で、今年初めて生産調整が来ました。今までも生産調整がなかったわけではなく、作付指標と言いまして、自分の持っている畑に対して何%、畑作物のだいたい30%までならビートを蒔いていいですよ、という面積の指標がありました。その代わり反あたり何t収穫しても、どれだけ出荷してもそれはOKだったのですが、今年初めて糖分は何%以上、総出荷量は何tと、今の牛乳と同じ格好になりました。そして芋はデンプンの原料ですから、でんぷんの消費は普通で考えるとラーメンとかそういう練り物などに限られています。大半が異性化糖であり発酵してこれがまた糖に戻るのです。ある意味競合する品物なのですが、それも余っております。何で余っているかといっても、消費に対して100%余っている作物なんて日本に一つもありません。お米も足りてないのです。ただ小麦が入ってきてパンとかラーメンとか食べているから、お米が余っている、そういう状態です。何か一つなかっ たら、日本の状態はおかしくなります。例えばアメリカから大豆が入ってこなくなったら終わりです。そばが入ってこなくても終わりです。そばも90数%は輸入しています。大豆にいたってはもう99.数%が輸入です。それで唯一輸入されてないものが生乳です。これだけはさすがに入って来ていないです。
(北海道に来てわかったこと)
私、北海道に来て初めて牛を見ました。別に酪農しようと思って来たわけではなかったのです。ただ、私東京出身であり、その頃は高度成長時代で田中角栄さんが列島改造論をぶち上げて非常に景気のいい時期でした。今で言うあのバブルとはちょっと違った意味で、非常に活気のあった時期です。ベトナム戦争があった時期でした。その頃は、北海道と言ってもわかならかったのです。東京から見ると全然もう日本じゃないです。北海道と沖縄は日本じゃありません。海を渡るという意味ではっきり言って外国だったのです。ただ、イメージとしては牛(肉牛ではない酪農)、牧柵があって放牧されていて、タワーサイロ(ブロックのレンガサイロ)があるという、そういうイメージしかほとんどの人は持っていませんでした。札幌冬季オリンピックがあってから、少しずつイメージが変わってきたような気がします。ただ私が来た1973年当時は、ここら辺(札幌近郊)は何もなかったです。野っ原でした。確かに札幌は大きな街だと言われますが、私から見たら東京をそのまま小さくしたような街で、好きになれなかったのです。わざわざこんなとこまで来て東京の真似する必要はないと思ったのですが、ただ道庁に用事があって、何しに来たかというと、道庁に酪農の盛んなところはどこか聞きに行ったのです。すると、いろいろ親切に説明してくれました。地図を出して……結局全部だって言われました。仕方ないのでまた苫小牧に戻りました。フェリーで苫小牧に上がったのですが、そのまま海沿いにぐるーっと回って、網走で止まってしまった……というような格好です。その頃の牛はどういう牛かというと、5・5・5運動というのをちょうど網走のここ西網走農協でやっていまして、はっきり覚えてないのですが、5,000kg搾りましょう、草を5t採りましょう、そして500万円の所得をあげよう、という運動だったと思います。と言うのも、牛はやはりそういう牛だったのです。平均乳量が3,000kg台、4,000kg出れば良いほうです。私が実習に入ったところの話では、だいたい5〜6頭搾乳していれば生活ができるというわけです。その時に乳房をいろいろマッサージして、バケットミルカーがあれば良いほうですね。手搾りもまだありましたし、そんな中で、初めて牛を扱いました。今、実際に私がやっている中で切実に思うのですが、同じ牛でも今の牛は全然別の生き物です。非常に人工的に改良されすぎています。あと餌のつくり方も全然違う。確かにいろんな良いことをみんなやってきていて、全てが変わりました。唯一変わってないのは人間ですね。実際にやっている方の感覚は変わらず昔のままです。ですから、良いところと悪いところが出てくるのです。100軒あったら100通りの飼い方があります。ですから、たとえ同じ施設・同じ餌・同じ牛できれいな本当に同じ状態の農場をつくっても、結果は絶対に違います。これは人が違うからなのです。牛の違いなんてないのです。平均6,000kg搾っている方でも、12,000kg搾っている方でも、牛や餌に大して違いはないのです。掃除・搾乳・給餌……やっていることもほとんど違わないです。みんな同じことやっているのに何でこんなに違うのか? もうこれは本当に人の差なのです。マネージャーの差なのです。
(経営者のあり方)
定年退職して脱サラして生活には困らない〜年金がもらえるのでもっと牧歌的なところでのんびりやりたい〜そういう方は除きます……自分のところで素晴らしい経営していて今まで通りやれば何とかなるしその方が楽……そういう方も除いて、これから一生懸命酪農をやろう〜何かをつくり出そうとしている方々にお話します。酪農をやるということは、法人であろうと何であろうと経営者になるわけです。経営者というのは一体何なのか?何のために酪農をやるのか?言うなればビジョンを持っていないと経営者ではないのです。将来私はこういうことをこうやりたい、こういう加工製品を作りたい、これだけの規模にしたい、こういう経営したい、こういうビジョンを持っていないと経営者ではないのです。ただ単純に牛を飼っているだけで、それで生活できるのなら私は別に否定しませんし、それで自分の子供もうまく教育できるし、環境も保てる自信があるのならば私は否定しません。しかしできないのなら、勤めた方が私はいいと思います。経営者というのは、自分で責任を全部負わなければいけないのです。そこがサラリーマンと若干違うところなのです。全ての責任は全て自分に返ってきます。私がこちらで農業やって一番ビックリしたことは、その意識が欠如している方が非常に多いことでした(今はそんなでもないです)。私が来た当時は、オイルショックがあり非常に農家も大変な時期でした。子牛が7万円で売れたと思ったら、500円でも誰も持っていってくれなかった、それくらい格差があった時期です。だから経営的に行き詰って首吊ったとか、そういう事件もあった年なのです。そこで、「農協の言ったとおり一生懸命やった、言われたとおりやった、だけども上手くいかないんだ、どうしてくれるんだ」と言うのです。これはおかしいと皆さん思いませんか?私から見たら異常です。自分の経営は自分で決める、やることも自分で全部、指標を求めることはあっても決定権は自分なのです。自分のやったことに対して、失敗したから農協がおかしい……これは経営者としては絶対に出てこない言葉なのです。自分で責任をとっていないのです。
(昔の、企業と農家との違い)
何故私がそういう風にその時思ったかというと、30年前の話しですが、人が違うのです。都会の企業の人材と、農家に残っている人材とでは、質が違っていたのです。これを言うと農家の人にすごく怒られます。私はどっちかというと企業側の人間で育ちましたので、あの頃そのまま企業に就職してれば、多分手取りで12〜3万円もらえたと思います。北海道にきてビックリしたのは、手取りで2〜3万円、農協の職員が2〜3万円でした。その代わり家賃が安いのにビックリしました。3,000円で一軒家借りられました。そういう違いはあったのですが、それだけ企業は金をかけて大卒者を選んでいました。そしてそれから1年間、自分の会社に使いやすいよう教育し直したのです。1年間給料払って仕事をさせていません。普通の製造業とか特に素晴らしかった企業ほどそういうことをやっています。人をつくることにすごく金かけたのです。そこで農家とは何なのか、その頃思ったのですが、要するに、明治時代・江戸時代からそういう傾向なのかも知れませんが、あくまでも人のショックアブソーバーで しかなかったのです。街に対する人のショックアブソーバー〜わかりますか?街がどんどん発展して生産性を上げます。そして人が足りないので農村から連れてくる。私の時にはまだ集団就職があって、中学生が夜行列車に乗って東京に来るんです。私がいってた学校は特殊で、統計学でそういうリサーチをしていました。全部をリサーチしてみた結果、北海道は変わってるな、と思ったことがあります。東京に集団就職した方々の行き先の追跡を全部したのですが、1年続かなくて辞めて点々としても地元に戻らないのです。東京だったら東京、横浜だったら横浜で、街から出ようとしません。ところが北海道から集団就職してきた方々の90数%は北海道に帰っていたのです。これにはビックリしました。府県と全然違い北海道だけ特殊だったのです。だからどういうところなのかなと、最初から興味はありました。そういう中で、農村から人 が余ってるから街に来る、勉強ができて頭がいいから農家ではなく街に住んで官庁や企業に勤める。頭悪くて勉強できないから農家の後継ぎになる、長男だから仕方なく後継ぎ。こういうことがずっとあったのです。と言うことは、農家の方は本当に農業がやりたくてやっていたわけではないのです。仕方なくやっている方がほとんどでした。そういう方々に食をつくることを任せて本当に生産性が上がるのか?と思ったわけです。企業の人材教育というのは、その頃は永久就職、定年まで間違いなし、それならその企業のために一生懸命やろう、そういう教育をするのです。一生面倒見てやるから、とにかくうちの会社で一生懸命頑張ってくれ〜するとやっぱり一生懸命やるんですね。でも農家は違う〜本当はやりたくない、要するに自分の子供を後継ぎにさせたくない、そういう方が多かったです。今はどうか?そういうリサーチをしてないのでわかりませんが、私が独身で来たときには、「自分の子供にうちを何とか継いでもらいたいし嫁さんは欲しい。でも娘はそういうとこの嫁にやりたくない」、そういう感覚でした。ということは、親がやっていることに自信を持っていなかったのです。代々続けてきたから何とか続けてもらいたい、そんなことでいい経営ができる かというと、絶対できないのです。
(農業の後継者の方へ)
これからみなさん実際に酪農をやる方、畜産関係の会社や農協などに入る方もいらっしゃるでしょう。みなさんにこれからどういう意識を持ってやって頂きたいか、私が思うことはまず、人の話を聞いて下さい"、それも素直に聞いて、頭から疑わないで、それはそれで聞いて、自分で自問自答して下さい。勝手に解釈しないで、わからないことは人に聞いて下さい。自分で勝手に消化せず、まず人の話を聞いてから、それを疑問に思って下さい。全てに理由があります。その人にとって、言った人にとって全部理由があります。その理由が自分にとって大事なのか大事ではないか、その判断は自分でやるものですから、良いことは取り入れるし、関係ないことは取り入れなくていいです。経営者というのは、常にそういうのを取り入れる意識を持ち、常に何かを求め、常に刺激を受けなければいけないと思います。あと、後継ぎの方は、農業の勉強なんかしない方が良いと思います。やっても意味ありません。できれば大学の4年なり高校の時間は、全然別のことを勉強した方がずっと役に立つと思います。農業というのは自然科学を相手にした総合的な職業なのです。言うなれば無駄な知識はありませんし、要らない知識も基本的にありません。どんな知識も全部応用できます。だから、自分の得意な分野から攻めることが出来るのです。ですから、自分はこっちの方が向いていると思ったら、そういうものをなるべくやってみて、それから農業やっても遅くはありません。農業にはやらないと身につかない知識がすごくあるのです。今みなさんいろいろ授業で勉強します、本読みます、でも本当に理解できているわけではないのです。農業は非常に特殊だと思います。やりながらじゃないと本当の理解が出来ない。簿記にしてもそうです。計算できても実際にはほとんど役に立ちません。牛に対する知識〜生理学も多分役に立ちません。何故か?という理由がわからないためなのです。学校では結果を教わります〜こうやったらこうですよ、こうだからだめですよ、と。しかし、こうだからの理由がわかんないのです。何でここがこうなったらだめなのか?その理由がわからないから、本当の理解が出来ないのです。で すから、基本がわからずうわべだけでやっていくと、どこかで必ず失敗します。農業というのは、やりながら失敗しながら覚えた方が早いと思うのです。農業の勉強より、その分ほかのことを〜特に人に使われる〜アルバイトでもいいですから、一生懸命やってみて下さい。農業を経営するということは、経営者ですから社長なのです。特に後継ぎの方は、社長のままであり、人に使われたことないままなのです。農業は一人では出来ないです。周りの人といかに上手くやって行くか、これは資本主義と相反するところなのですが、1軒だけ残っても出来ないのです。そんなときに俺は社長だ!などとやっていると、良いことはないような気がします。必ず、人に使われる、人と付き合うのがどういうことか、農村にとってはそちらの方が大事である場合が多々あります。知識はやりながら身につけられます。今覚えて頂きたいのは、今ある知識をどうやって応用するか、これを応用するにはどうしたらいいか、その思考力を今から鍛えておいて下さい。そういうことで、大変無茶苦茶な話になりましたが、これで終わらせて頂きたいと思います。
(質疑応答)
(干場)白石さんは東京生まれで、幾徳工業高等専門学校(神奈川工科大の前身)というかなり珍しいところを出られてから酪農に入られた方です。そういう意味で、農業をずっとやっていた人とはちょっと違う視点でいろいろ話をして下さいました。
卯原内の生産組合を補足的に説明して頂ければと思います。通常は大きくするとメガファームになることが多いのですが、卯原内は畑作との複合にこだわってらっしゃいますね。
(白石氏)明確に理由があるかと言われると返答に困るのですが、半分半分、50:50でやっているところがあります。それには人の配置やローテーション、思考の問題や頭の問題があります。
酪農は毎日同じ仕事が基本で、今の状態が順調なら、頭使わなくてもそのとおりやっていれば出来るのです。ということは発展がないです〜頭使わないから。一方、畑はある意味バクチです。1年に1回この時期にちゃんと植えたか、防除がきちんと出来たか、半日ずれただけで結果が大きく変わります。そういう人たちと、牛屋さんが共同経営していると思って下さい。思考が違うのです。私たちはどちらかと言うと保守的なので、どうしても守りに入ってしまいますが、畑屋さんは攻撃的なのです。当たり外れ……外れてもいいからやっちまおう、そういうのがあります。そういう指摘を受けると非常に上手くいくと思います。季節的な作業では牧草作業なんか私もやりますけども、畑屋さんが半分以上手伝ってくれる格好ですので、私は共同経営するなら畑屋さんと牛屋さんが一緒になった方が良いと思います。牛屋さん同士が一緒に共同経営してもろくなことないような気がするのです。どうしてかと言うと、社長と社長が同じことをやっている同士だとぶつかるんです。哺育の仕方だとか、搾乳の仕方 だとか、餌のやり方だとか〜俺はこういうやり方していた、私はこうやっていた、と。うちの場合は、畑は畑屋に任せるのです。牛は牛屋に任せるのです。牛の方には冬になれば畑の仕事はありませんから、組合長(畑屋)が手伝いに来ます。でもそれは私の指示なのです。私が畑に行けば、そこの担当の指示で動きます。そういうシステムにしていますので、非常にいい状態だと思っています。しばらくこれを続けて、やれる限りはやっていきたいと考えております。
(新名)4戸8名の職員の方はどのように所得を配分していますか。
(白石氏)年間20ヶ月給与みたいな感じです。夏に1ヶ月分、冬に8ヶ月分のボーナス、というような格好です。何等級の何号といった農協の基準を使っていて、若干何千円という単位で組合長、専務、私と金額は異なりますが、女性の奥様方は同額です。だいたい夫婦合わせて1,000万円くらいの所得です。これは給与ですから、赤字になっても保障します。借金しても払います(結局は自分らでかぶるしかないのですが)。うちの法人が少し変わっている点の一つは、個人の土地を買い上げていないことです。法人にするとたいてい土地を現物出資しますが、うちは個人資産の持込はせずに、個人と法人との間で賃貸借契約を結んでいます。ですから法人の経営者でありながら、法人と契約して土地を貸しているという形になっています。発足当時からそれを貫いています。個人経営のときの資産・負債を持ち込まないので、借金も持ち込んでいません。ですから給料で自分の借金は自分で返します。その代わり資産を取り上げず、あなたから等価で借ります、という形でやっていますので、土地がある方はその他に何百万円の土地の賃貸料が入るようになっております。
(干場)卯原内の生産組合はもう40年やっていて、当時法人はなかったですし、今ご説明頂いたようにユニークなやり方をしてらっしゃいます。法人のどこが良くて、どういう問題があるか、法人経営で成功するにはどんな秘訣があるが、そのあたりをお話し頂ければと思います。
(白石氏)法人にもいろいろございます。うちの場合は農事組合法人、どちらかというと農協に準じたような法人です。大抵の法人は株式会社になっていて、社長が全責任を取って、後は従業員というような形になりますね。農業生産組合法人というのは全てが経営者なのです。構成員の8名が共同経営者という形になっています。うちの場合変わっているのは、現物出資をしていないことです。普通、法人をつくるときは、わりと現物出資をして、借金も全部法人のものにして、それで出発するところ多いのですが、先ほど話したとおり、うちは出資金を積んだだけです。一人平均で約100万円、100万円積めば共同経営者になれるのです。共同経営者というのはどういうものかと言うと、経営に責任があります。当然儲けたときは配分がありますが、赤字になったときも、当然その責任はかかります。もし何かあって解散した場合、それも同等であり、法人所有のものは同等に分配する、そういう立場の人になります。昭和37〜8年頃に第1次構造改善という、(今も国の方で法人をつくりましょうと一生懸命やっています が)国の政策にのっとって、昭和41年に法人になった当時は有限会社だったのです。気の合った仲間で、じゃお前ら一緒にやるべって一緒に有限会社をつくって、解散して、そして農事組合法人という形になったのです。私が農場に入ったのは昭和56年で、その4年後の昭和60年に構成員になりました。昭和52年に今の家内と結婚いたしまして、実習生として新規入植者と似たような形で入ったので、最初から構成員ではありませんでした。例外的に条件が整って、部外者を構成員にしたのは私が初めてです。私が部外者で入って、結果としていい方向に進み、そこから方向が若干変わってきたと思っています。私が素晴らしいと思うのは、いきなり経営者にする、その発想がすごいと思います。普通は出来ないです。今まで自分でつくってきた財産をやるのと同じですから。そういう意味では本当に変わった組織だと思います。日本でもうちぐらいだと思います。ほとんどの法人は血縁関係で、兄弟なり親戚、そういうのでつくっています。最近出てきたメガファームがそういうのからはずれてやっていますが、 一言言いたいのは、素晴らしい内容のメガファームはありますが、私から見ればクエスチョンなメガファームが大半です。つくるときに結構うちに視察で来るんです。私はその時に平気で言って怒られるのですが「ゴミはいくら集まってもゴミにしかならない」のです。粗大ゴミにしかならないです。自分個人の経営が出来ない方が何軒集まっても経営は出来ない〜これは肝に銘じて頂きたいです。大きいところ程スケールメリットはありますが、逆にスケールデメリットもあります。細かい管理が今まで以上に出来ないのであれば、デメリットが出ます。細かい管理が出来て成績も上がるようならスケールメリットが出ます。投資になるか、ただの負債になるかの境目というのはその辺にあるのです。自分の経営の出来ない人に、共同経営の経営は絶対に出来ない〜これは保障します。もしやるのなら、誰でもいいです〜引っ張っていってくれるリーダーが間違いなくいるのだったら、成功すると思います。ただうちの場合はそういう形態ではありません。みんながリーダーです。これが非常に難しいのです。1人がリーダーなら、その人が思いっきり引っ張っていけば、その人が素晴らしかったらいい経営になります。その代わり世代交代が難しいという問題があります。その 人が歳とった後の跡継ぎをつくれないのです。世代交代の時にいい法人が潰れています。うちには船頭多くて船進まず"みたいなところがあって、みんなが先生ですから、すごく難しいのです。それでうちでは半期に1回なり2回必ず話をする、という形態をとっています。私たち法人に何が必要かというと、人と付き合う、人と理解しあう、というのがすごく大事なのです。決議事項もあります〜何かをやります、止めます、進めます、それは全員一致かだめかのどちらかです。一人でも反対したらやりません。その決議権は構成員全てにあります。当然、私もこういうことやりたい、といった起案をします。それでその人をどうやって説得するか、これもなかなか大変です。早い話、そこにしこり残さないよう、全員一致でしか物事を動かしません。何かあったときに「俺あの時反対した」〜これがあったらうちの法人は失敗します。そういう組織なのです。こういう形態の組織はそんなにないと思います。うちの組合長はところてん"です。定年になったら次の歳の人が組合長になり、組合長とは名前だけ、部長と言うのも名前だけ、みんな平等です。一応、組合長は総体の責任者、専務は経理の責任者、私は畜産の責任者、怒られるのはそこの担当、それぐらいの違いです。営農計画をご存じですか?農協に毎年、一年間何を作ってどういう収支にするか、という営農計画を出します。うちの場合は、和牛は和牛の人が、私はホルの方を全部、畑は畑、機械は機械、すべて部門別に営農計画を作ります。それを総括して営農計画として出すわけです。ですから、責任はその営農計画を作った人にあります。
このような経営形態を実現するには、そういう人材
が集まるか、そういう雰囲気に持っていけるのか、その辺りが難しいところなのです。うちは出来ていますが、これから新規ではじめる法人がそう出来るかどうかは疑問です。
(干場)ありがとうございました。徹底的に議論はする、でもその分協力もする、お互いの立場を認め合う、ということが守られているから、卯原内生産組合が法人として成功しているのかな、という気がします。非常に参考になるお話しがたくさんあったと思います。もう一度拍手で感謝の意を伝えましょう。

 

 

 

 

 

 
農業後継者支援策
 
(挨拶と自己紹介)
農家の皆さんが農業協同組合を組織してそれぞれ活動していますが、その組合には青年部という若い人の組織があります。その青年部に比べても今日は若い人達が非常に多いので、これからの北海道の農業を担ってくれる方がこの中からかなり出てくるのではないかと期待しています。
私は小学5年生のときに開拓に入った両親の息子です。いわゆる戦後開拓でした。山で木を切って冬の間は炭を焼いて、春にその根っこをとって、馬で畑を起こしていろんなものを播いて販売した経験があります。高校3年生まではランプ生活でした。今は昔のことを懐かしんだりあこがれる方がいっぱいいますが、私が高校の頃には「お前の家まだランプか」と言われていました。もちろん電話もありませんし何もなかったです。でもその中で牛を飼って乳を搾って売って、米とかを買って食べました。いいものは食べてなかったのですが、麦飯と芋、牛乳と卵は毎日食べました。牛乳は1日にお椀で6杯も7杯も飲みました。おかげさまで、私と同じ年代の方に比べると私は体格が良い方だと思います。169cmしかないのですが、まだ骨もしっかりしています。要するに今で言えばドイツとか酪農地帯で食べている食事でした。白いご飯は食べたことがなかったですが、体もまあまあになりましたし、とりあえず仕事にも就けました。農業改良普及員として約40年間、農家の父さんやおじいさん、若い人の相 手をしました。私が30年前に付き合った青年は、今は市町村の重役や農協の組合長など立派になって地域農業を支えています。
(後継者と新規就農者)
その頃は農村の青年が一家を出て何かをやるという時に、4HC(青年農業者のクラブ活動)の会合に行きたいと言うと、すごい頑固親父でも「よし」と言ったものです。飲みに行くのはだめ、若い女の子のいる家に遊びに行くと言ってもだめです。でも、4HC の会合ならほとんどの父さんはOKです。それくらい当時の農村の若い人達は、自分達の地域をどうしようか、これから10年先の農業をどうしようか、(後継ぎのことを考えていました)。私は実はあまり考えてなかったのですが、親が農業だから将来農業やるとか、親が魚屋だから魚屋やるとか、要するに農家の息子は農家をやって欲しいという考えはずっとあったのです。しかし、20年位経つとすっかり様子が変わってしまい、農業をやる人はかなり選抜されてきたような感じに世の中が動いていて、さらに10年15年位経つと農業のやり手が少ない状況が続きました。ところが今は、意外に農業をやりたいという若い人が多くなってきています。自分の職業として農業を選ぶ人が増えたということです。自分も含めてそうですが、「お前は息子だから娘だからこれをやれ」と言われると、普通の人はやりたくないですね。一時期、苦しい農業の時代もあったので、そういう時に息子あるいは娘に、「お前に農業の後を継いでくれ」とはなかなか言えなかったのです。ところが最近は、非常に農業をやりたい方が増えました。問題なのは、後を継いでくれる方に日本では昔からタダで移譲していた、ということなのです。親が農家なら息子には全部タダで経営を移譲したのです。タ ダというのはすごく良さそうですけど、貯金と一緒に借金の残りも一緒に息子にくれるのです。普通それはあまり欲しくないですね。しかしここ数年間、新規で農業をやりたいという若い方が非常に多くなっています。タダで父さんがやっていた経営を息子にやる、と言った時には「欲しくない」と言ったのに、よそから人が入ってくるとなると、やっぱり帰りたい、ということで、いわゆる街に勤めていた青年が戻るUターンが今増えてきています。ですから、この中から1割でも3%でも新規に自分が農業経営をやりたい、という方がいれば、それは即、農村出身の青年に刺激を与えることになると思います。最近、活性化されている地域では、意外とよその地域から農業を知らない人が入ってきて、その地域を動かしています。よそから入った人が地域を活性化させています。
(農業後継者のための諸制度)
今日は資料を3つ持ってきました。1つは農業後継者のための諸制度です。北海道では平成13年に、家が農家でなくて、新規に農業をはじめた方が102人いました。その後、86、80、71と少しずつ下がってきていますが、農業外や他の地域から農業に参入している方がどんどん増えてきているのが実態です。ある市町村では毎年1人ないし2人の新規就農者を入れて、気がつくと10年間で十何人もよそから入ってきていて、農家の方の1割になった、そういう地域もあります。それは活性化している地域" というように私たちは見ています。表3に経営形態別新規参入者数と書いてありますが、酪農は(昭和45年からの)累計で333人、近5年(平成10年から16年)では109人あまりです。酪農で新規参入される方は一時期よりちょっと減ってきています。これは先程話したように、酪農家の息子さんが街で働いている間に、自分の親の経営を別の新規の方に取られたら困るということで、Uターンして来ている方がいるためだと思っています。3〜5頁には、もし皆さん方が具体的に新規就農されるような場面になったら、活用できる資金等の概要を表にしてあります。残念ながらこういう資金は毎年少しずつ変わりますので、皆さんが今すぐこれ活用できるということではありません。少なくても学校を出てから1年か2年か3年実習したり研修してから、よく見て頂きたいと思っています。8頁は北海道がお勧めしている新規就農者向けテキストのうち農業経営系をコピーしてきたものです。この絵の中の(相撲とりじゃないですが)土俵に上がっている方が皆さんだとすれば、このようにいろんな形で応援する人、支える人あるいは指導する方がいる中で、その土俵に上がって頂きたいということを図で示したものです。これもその都度必要なときに活用して頂きたいと思っています。
(新規就農〜経営の三原則)
次の資料には農業経営者になるために" ということで、経営の三原則等を書いてあります。一般論ですが農業をやる場合には土地が絶対に必要です。土地と労働と資本、これはどうしても必要なものです。例え ばお金あれば、極端な話土地も手に入るし労働力も手に入ります。でもそれはお金があればなのです。しかし農業者は農地を持っている人が農業者なのです。では、農地を持つにはどうしたら良いかという話ですが、農地は農業者でないと買えないのです。農業者でないと農地は買えないし借りられない。ではどうしたら良いかという話になるのですが、新規参入する〜例えばあなたの家が農家でないとすれば、この三原則のほかに信頼とか信用が必要になってきます。農地は国の法律に守られていてお金をいっぱい持っていても買えないようになっているのです。実家が農家であれば、街で働いていても、戻るとすぐ農家さんになれるのです。ところが、酪農大学で勉強して実習もやって計算もできても、農地を貸してくれるとか買っていいよと言われないと農業者になれないのです。ですから皆さんは経営の三原則の他にもう一つ、「あなたがこの地域にきたらきっとこの地域みんなが良くなりそうだから、ぜひこの地域にきて農業を一緒にやりませんか」、と言ってもらえるようになる必要があります。これがいわゆる信頼であったり信用なのです。
北海道農業担い手育成センターでは、農業以外の方が農業やりたい時にいろいろお手伝いをしています。同センターは道内の市町村全部にあります。江別市農業担い手育成センターもあります。私どもの事務所では農業をやりたい方のいろいろな希望を聞いて、地域へ紹介する仕事を主にしています。最初は体験実習をしてもらいます。体験実習とは農業をやるとは限らないけど牛飼いの農場の生活を体験してみたいとか、さくらんぼを採ることを体験したい、といった体験です。体験してもらって、農村で生活できるか? 農家で生活できるか? 体力的にどうか? ということを本人に確認してもらう意味があります。農産であれば雪の降らない夏の間、畜産であれば年中体験できます。その後に、今度は就農研修を2年くらいしてもらいます。
その中で自分の将来の営農目標とか経営設計あるいは自分の将来の計画をつくります。それを市町村経由で都道府県に提出して、北海道の場合には北海道知事が良いと判断してくれると就農認定者に認定されます。そこまでいくと、いろんな制度上のお金を借りることもできるし、うちのセンターの事業も活用できます。体験実習や就農研修中の三原則ということで、私がずっと今まで思ってきたことなのですが、一つは「知力」が絶対必要だと思っています。この知力は知恵の知で、もちろん知識も入ります。私を含めてここにおられる大学の先生も、知識は皆さん方よりきっとあると思っていますが、農業系はそれだけでは足りません。いろんな意味で近隣の農家さんとか地域全体とか、何かをする場合には知識だけでなく知恵も必要になってきます。農学と農業は全然違うということを認識して欲しいと思います。
それからもう一つは「体力」です。私は先日大阪へセミナーに行ってきたのですが、梅田に地下歩道360m"と書いてありました。360m は(農業では)ものすごく遠いのです。北海道のテレビとか絵葉書を見ると、うわー美瑛がすごくいい、十勝の芋畑がすごくきれい、などと言いますが、芋を植えている畝のことを200間畝と言って、200間は200×1.8m ですから360m あるのです。その距離を、草を拾いなさい抜きなさいと、ずっと行くだけで1時間、帰ってくるのに1時間かかります。農業機械は非常に簡単にできているのですが、 だめなんですね〜収穫では芋と同じ大きさの石も全部拾ってくるのです。体験実習者に「あんた元気そうだからここの畑の石を拾ってね」と360mずーっと石を拾って戻ってくると、半日作業でほとんど疲れてしまう、という人がいっぱいいます。それくらい北海道の農業は厳しいです。また、今日は25℃くらいありました。25℃は北海道の人にとって暑く感じますが、実は北海道の牛は24.5℃が限度です。それ以上暑くなると、食欲が落ちるし食べないですから牛乳が出ません。それから牛は毎年子供を産んで、それで乳が搾れるのですが、子供を産む間隔が体調不良で伸びたりすると非常に損になります。ですから、これからみなさんがやろうとしている酪農は非常に難しく、要するに牛にどれだけいい環境を作ってやれるかを考えた経営者が勝ちになると思います。
3番の「実践力」ですが、実習したり学校で習って自分の身になる力は、実践して初めて成果が出ると思います。最近、新規就農の方があちこちで相当の成果を挙げています。彼らは勉強して自分が学んだことを全部実践しています。私と同年代の昔の農業者は、10個もわかっているのに3個しか実践してないです。ところが新規就農者は、例えば、農協の人に話を聞いた、獣医師さんに話を聞いた、普及員に話を聞いた、酪農大学で先生の話を聞いた、そういう聞いたことを実践していくのです。3個しか知らない人が3個実践するのと、10個知っている人が3個しか実践しないのなら、表面上はほとんど変わらないです。北海道の酪農地帯で今の一番の課題は、どれだけきれいな牛乳を搾って飲みたい人に届けられるか、ということです。もともと乳牛は家畜ですから、自分の子供に乳を飲ます為に乳を出します。牛の乳頭は四本ありますが、ほとんどの牛は子牛を1〜2匹しか産みません。逆にめん羊は子羊がたくさん生まれるのに乳頭が少ない、豚も乳頭が両方で10個だけど一回に十何頭も生まれる豚もいます。要するに家畜は自分の子供を育てるために乳を出すのですが、人間がすっかり改良してしまったので乳頭も増えたりして、今の乳牛はいっぱい乳を出してくれます。
(就農の実践で成功するために)
次に経営者になったらですが、もしみなさんが体験実習をやって就農研修をして、運良く就農したとすれば、ここに書いてある成功するための「かきくけこ」をぜひ実践して欲しいと思います。まず最初の「か」ですが、観察"がこれから重要になってきます。観察〜極端な話ですが、この子牛は元気なのか、元気がないのか、というのがわからないとちょっと困るのです。今自分が飼っているこの牛は普通なのか、腹痛いのか、どうして昨日は22kg乳が出たのに今日は18kgしか出ないのか、要するに正常と異常を判定できる観察力を身につけて欲しいと思っています。全道的には、新規就農の方が研修するために、町や農協などいろんな所がお金をかけて研修牧場的なものを建てています。そこで2年ないし3年研修し、就農してようやく自分で農場を求めて牛を牛舎に入れ始めたら、(研修牧場では予定日に子牛が元気に産まれてきたのに)10頭産まれたら3頭死んじゃったとか、難産でどうやったらいいかわからないとか、いろいろなこと出てきます。良いところばっかり研修して悪いことが研修できないと困るのですよね。酪農大学ではちゃんと病気になる牛をつくっているはずですよね。病気になる牛をつくるけど、それもちゃんと治す。正常な牛の姿や当たり前な牧草の色、そういう正常なものと異常なものとを判定・判断するために、観察は大事なのです。これからいろんな機会に勉強して欲しいと思っています。
それから次(の「き」)は記録"です。30年間牛を飼った農家の父さんが「俺はずっとそのまんまやっている、息子の言うことではなく俺がずっとやっていた方がいい」と言うのですが、やっぱり記憶"より記録" です。やっぱり数字はウソを言いませんし、数字が全部経営です。私も学生時代、農業経営の授業は一番嫌だったのです〜なんか理屈っぽいなと思って。でも牛10頭飼っていて、隣の牛より毎日1 kg ずつ余分に搾ったら1日10kg 余分ですよね。10kg×365日ではすごく儲けが違うのです。今酪農家では所得1,000万円以上の方がいっぱいいます。2,000万円とか1億円くらい搾って売る人だっているのです。でも残るのはだいたい3分の1、3,000〜3,500万円くらいです。私も普及員で給料をもらってましたが、今北海道でだいたい30頭搾っているなら、年間に2,000〜2,500時間も働いてないかも知れません。給料取りも土日休みで2,000時間近いですから、農家の人は意外と働いていて、やらなきゃない時はきっちりやるのですが、こ れも数字で見ていくとわかりやすいです。月形(空知管内)の方に新規就農で入った方がいます。私や先生方も、この牛1頭からいくら売り上げがあるとか、水田1反からいくらお金がもうかるか、という話し方をするわけなのですが、その新規就農した青年はコンピュータで、自分が働いて一時間あたり幾らか、というのを経営の成果にしたいと言うのです。やっぱり目の付け所が違うな、と思っています。
次(の「く」)は工夫です。工夫には色々な意味があるのですが、同じ仕事なら楽した方が絶対にいいです。工夫〜省力はやっていいと思います。だけど省略は絶対だめです。
次(の「け」)は計画です。牛は一年に一匹しか子供を産みません。みなさんが30歳の時に農家になったら、それから先は30年間です。要するに30回しか農業経営はできないのです。ですから一年一年、牛の一産一産をきっちりやっていけるかどうかを、これから授業とか実習に入ったときに学んで欲しいのです。いま仮に、私が飼っている牛が14ヶ月に一匹ずつ子供を産むとします。50頭飼っていると延べ700ヶ月かかります。そして、新名先生の飼っている牛は13ヶ月かかると仮定します。そうすると新名先生の方は46頭生まれ、私の方は42頭です(4頭の差です)。人工授精も1回で種付けれなかったら21日間遅くなります。1頭の牛で7,000kg搾ると年間売り上げはだいたい50万円です。4頭の差があったら200万円の売り上げで、儲けが3割なら60万円の差です。毎月2万5,000から3万ずつ二人で小遣いもらえる金額〜13ヶ月と14ヶ 月ではこんなに儲けが違うのです。
私どもの事務所はあちこちに行きます。標津(根室管内)へ行ったり豊富(宗谷管内)とか行って新規就農のいい事例とか、失敗した事例があったら是非教えて欲しいと言うのですが、成功した方はほとんどの方がいいよと教えてくれます。でも失敗した事例を教えてくれるところはほとんど無いです。良かった時だけ覚えているのはパチンコだけで十分です。パチンコも収支をはっきりさせたら、もう行かないと言うかも知れませんし、まだはまる"人もいるかも知れません。要するに農業経営もなぜ失敗したかという理屈をちゃんと自分でわかっている人がいずれ成功すると思います。
農家の人が生産したものを売るときに自分で値段をつけられるケースはほとんど無いです。牛乳は70何円とかだいたい決まった中で計算できますが、米とかメロンとか花とか何でもそこいらにあるもののほとんどは、市場に出さないと値段が付かないです。北海道の農家はほとんどが専業農家で、農業だけで生活しています。逆に府県の農家はほとんどが兼業農家です。私は農業やっているけど父さんは農協職員だとか役場の職員で、給料ももらうし農業の分ももらうのです。しかし、北海道の農家の大半は専業農家です。専業の農家の中にはすごく儲かっている人、プラマイ0の人、マイナスになる人も中にはいます。マイナスになっても専業農家は専業農家なのです。例えば酪農経営で立派な牛舎だとかいろんなものにお金かけすぎちゃって、収入と支出のバランスが悪くなって損しても、その農家の売る牛乳と儲かっている農家の売る牛乳は値段は同じなのです。うちの牛乳は、すごくお金借りた利息が入っているから高く買ってください、と言ってもどこも買いません。要するに生産物の価格には生産原価がほとんど反映されません。
去年の9月の台風ですごい風が吹いて札幌でも倒木したのですが、予報を聞いて夜寝ないでそばを収穫した人がいます。まぁーいいか、今はパチンコでいっぱい入っているし明日刈っても大丈夫だろうと、思った人は、収穫物が何も無かったのです〜全部風で実が落ちて。ですから、農業には時には二日三日寝なくてもやらなきゃならない時期があります。
北海道が一番いいのは春夏秋冬があるということです。大阪には無いかも知れないし、四国・九州もあまり無いと思います。北海道の農業の始まりは雪が溶けてから雪が降るまでです。四国とか九州では田植えはいつやってもいいのですが、北海道ではきっちりその時期までに植えないと、終わりが決まっているのです。例えば9月30日とか10月の体育の日までとか〜体育の日にも昔雪が降ったのです〜30cmも。すると稲が刈れない……。四季がはっきりしているから、それだけ農業のやりがいがあるし、体も引き締まります。年中夏でないですから。ちょっとくどいですが「いやーあの時に早く帰ってきてそば刈っとけば良かったな」と後から思ってもだめなのです。一銭も金が入らないですから。
最後ですが、経営の継続のためにはこれがすごく簡単で難しいと思います〜基本に忠実"、変化に対応"、できた答えは客に聞け"、これは酪農を意識しています。
北海道で飼われている牛は、普通に餌やって水もちゃんと飲まして、夏には扇風機をつけて24℃以下になっていると7,000kg とか8,000kg の乳を出してくれます。そして発情もきちんと見つけてやる〜要するに管理者がきちっと基本に忠実" だったら乳は出てくれます。変化の対応"これは〜、北海道からは府県にどんどん(ホクレン丸に積んで)牛乳が行っています。そこで言われるのは、その農産物を買う人のたくさんの要求・ニーズに答えるような農畜産の生産をして欲しいということです。買った方は「あそこの牛乳がすごくいいからまた買おう」と思うし「あそこのメロンは値段も手ごろだしうまいしまた買おう」と……、自分でいい牛乳だ、いいメロンだ、などと言わなくても、買った消費者が全部答えを出してくれます。このことは就農された後でも気持ちの中にしまっておいて、実践して欲しいと思っています。
(新規就農者のアンケート)
新規参入就農者実態調査データというのがありますのでちょっと見てください。平成12年から14年の間に新規就農した皆さんにアンケート方式で答えを書いて出してもらったものです。250名にこの調査を依頼しましたが、戻ってきた答えは108名分、ちょうど50%でした。いろいろ皆さんの参考になる部分があると思います。なぜそこを選んだか" という問いには、そこに農地があったから、という答えが一番多かったです。就農するにあたって苦労した点とは何ですか"という質問では、一番多いのが資金の確保です。全体で43%の人がそう答えたのですが酪農も同様でした。家はどうしましたか"との問いには、酪農の約6割の方が農家の空き家を買ったと答えています。経営で困っている課題は何ですか"、という質問には、技術の未熟さ〜もうちょっと勉強しとけば良かった、もうちょっと技術を知らなければいけない、という実態が全体で約4割、酪農家では44.4%でした。酪農家でその次に何が困ったか" との問いには、所得が少ない、次いで税務対策でした〜18%。税務対策というのは節税をしたいということなので、税金かかるくらい売れたからだと理解してもいいです。生活面で困っていること等" については、思うように休暇が取れない、交通・医療等生活面の不便さが全体の4分の1です。北海道の酪農家は今だいたい100頭くらい飼っているのですが、一頭の牛を飼うのに〜甲子園球場のグラウンドに1.5匹しか牛を飼えないのです。そうすると面積をたくさんもっていて、隣の家がすごく遠い。夏休みに釧路から根室行きの汽車に乗って、何とか駅を過ぎたら10分くらい走っても家が一軒もなく、山みたいなとこばっかりです〜鹿はいっぱいいますが。酪農専業地帯だとすごく面積が広くて生活面では困りますね。就農するときに自己資金はどれくらいあったのですか" という質問で、酪農の人は529万円と答えてくれました。平均ですから1,000万円持っている人と2−300万円しか持ってない人を足して割るとこれくらいになるのでしょう。耕地面積"は酪農家で48.6haです。農業所得の確保状況" では、「就農1年目から生活が成り立っているか」と聞くと、4分の1が成り立っていて、2年3年でようやく43%です。これは(酪農や畑作を含めた)全体です。経営別では、酪農27名のうち1年目から生計が成り立っていると答えた方が6割です。27名のうちの6割というと14〜5名。就農2年目では85%が生活は成り立っていると、新規就農の方は答えてくれています。一方、野菜の場合は3年未満で19%、花とか果樹はかなり先までなってもなかなか食べられそうにもない、という答えです。酪農については自分が生産したものに単価をかけたものが収入になります。自分の作った物がいくらで売れるか、と言うのとは違って、おおむね計算ができます。ですから、今の時代で牛を飼っている方はあまり商売をしてないと思います。私が現職のときには、父さんが牛舎を大きくしたり農地を広げるのに借りたお金=1億円くらいを7年で返した、という農家の方も実際にいました。また、府県で牛を飼っていた方が、その地域ではもう土地も手に入らないし、周りも全部街になったし牛を飼うのは大変なので、北海道の道北のある地域に移ってきました。そして彼の搾っている牛乳はその町内で1番いい牛乳になってしまい、儲かっています。それで、昔から飼っていた人に「どうしてあんた、何をやっているの?」と聞かれても、「いや別に前と同じように普通にやっています」と言うのです。要するに、普通にやるというのは意外に難しいのです。だから、省力のつもりがもしかしたら省略になっているかも知れないし、長年〜20年30年牛飼っていた父さんがやっていることが、今の牛に合わないのかも知れません。今の牛は昔と変わっています。今の牛はみな大きいから、昔のままの牛舎(寸法)だと糞尿の落ちる尿溝に足がはまる。そういう世の中変わってきたことに対応していかないと困るのです。長年牛飼っていた父さんと、酪農大学に来て勉強した息子さんとの意見が合うにはやっぱり3年くらいかかったりしますが、意外に他人とはうまくやっているのです。2、3年したら辞める酪農家に就農研修している人はすごい勉強もしているし親父さんも面倒みてくれるのです。息子と親父の立場はやっぱり微妙かも知れません。親から言われるのと、他人から同じこと言われたら、他人から言われた方が気分いいけど、親に言ったらんー" となってしまう。
だからそこで何のために研修して自分は牛飼いをするか、ということをいろいろ考えながらやって頂ければ良いと思います。牛を飼うための手助けはいっぱいできると思いますし、うちのセンターもいろいろ相談にのります。私以外にもっとベテランの方もいて、全部で5人が相談対応していますのでぜひ来てください。元気な女性もいますので、女性の方も相談にのってくれます。
そういうことで、資料の説明をあまりしないで悪かったのですが、後ほどゆっくり読んでください。眺めるのでなくぜひ読んでください。ちょっと時間過ぎましたが、私、岡の話はこれで終わりにします。どうもありがとうございました。
(このあとの質疑応答が行われましたが、質問のほとんどは資料の見方に関するものでしたので、省略させていただきます。)

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